12月分バックナンバー





与野党という言葉を聞くと、




12月3日(日)

 最近別の意味でも熱くなっていて悲しい思いで遠くから見つめているトランスメタのクルーソーCPUであるが、省電力によるバッテリー駆動時間の長大化はいまや万民の望みでしょ。人間がその生を受けた瞬間から宇宙を自由に飛びたいと夢想していた様に、アルキメデスの時代からバッテリーの大容量化を追求しつづけたという事実がそれを物語っています(ウソ)。




 この問題を語るにあたって、ポイントとなる点は3つ(←完全に語っている)。ひとーつ、バッテリーの容量そのものを大きくしてしまうこと。それはまさに大量消費の世界に象徴されるような解決方法。そしてふたつめが、クルーソーで具現化されている様に消費電力を減らすことで相対的にバッテリー容量を増大化させるというもの。そしてみっつめが、失われた電力の補充方法を変えるという観点。




 バッテリーの容量を大きくするにあたって物理的に大きくする方法とかもあって、気持ちは分かるし、確かに一定程度の効果はあるんだけど、なんだかハイテクな感覚に欠如している気がする。良いよ、良いよ、どんどんデカくしちゃえば!みたいなことを言っている技術者(40がらみ)のイメージが頭から離れない。ノリノリの雰囲気そのものは大好きなんだけど、感動とは種類が違う。




 そういう意味では、消費電力を減らすというのは完全にテクノロジーの世界の話であって、ある種の痺れ(≠爛れ)みたいなものを私の中に引き起こす。そしてさらに発想を根本から変えてしまうのが、電力補充の考え方を覆す自家発電。中毒になりそうなくらいに、惹かれて止まず。これ以上感動を得るにはエーテルをエネルギー源とすることくらいしか思いつかない。




 良いっす、自家発電。もうなんだったら、ノートパソコンとかなのにホワイトガソリンで発電してくれれば良いのにとか思うくらい好きです。パームレストの部分がタンクになっていたりとかして、持ち歩くとチャプチャプ音のするようなパソコンが欲しい。ひもがパソコン本体から出ていて、それをグイッと引っ張ると「ブルブルブルーッ」と物凄い音を立てる。静穏性は完全に無視。キーボードとか触れないくらいに熱くなってるし、脇から黙々とは出てくるし、たまに一人暮しのヤツとかがパワーを切り忘れて一酸化炭素中毒起こしたりとか・・。




 別にウラン内蔵タイプでも良いし、なんだったらマリン仕様と称して潮力発電を起こすようなものでも良い。いやいやもっと言うのであれば、パソコンから出ているコードを脊髄だの脳だのといった体中のアチコチに接続して、そのまま生体電気を以ってエネルギー源とかとしてしまうのも面白い。でもそれで人間がグッタリして、経口にてエネルギー補填しているのであれば結局は一緒かもしれんけどね。





12月15日(金)

 実は会社の関係で13日より茨城の研修所に立て篭もり。モルヒネを打ちながら、日本に革命を起こそうと思っていたのだが、間違えてIT革命なんて起こしちゃった日には目も当てられない。やめられない、とまらない。やはり日本で革命が本格的にならないのは、アメリカなどと違っていったん革命に失敗した場合に、そこから復活できるようなシステムがないからだとVR(ベンチャーレボリューション)の大家が口ずさんでいた(♪)。




 研修が終了してふと携帯を見てみると着信履歴が入っていた。この私、なぜだかは知らんのだが携帯のバイブレーションを無視させたら、日本で3本の指に入るとまで言われるほどの傍若無人ぶり。天上天下唯我独尊。常にその指は天を指し、もう片方の指で地を指しているというのだから、恐れ入ったものだ(←不明)。しかし物事に動じないというか気づいてみれば着信履歴という状態が多すぎる。東海大震災とかってぜんぜん来ないなぁと思っているのだが、実は既に来てたら困るので、最近友人にも地震の話はしていない。




 電話をしてみればディーラーのおじさんからの電話。なんでも車検に出していたわが愛車がその検査を完了したとのことだった。私の愛車に対してあらぬ疑いをかけられたような気がしてなんとも憤慨していたのだが、そもここは法治国家日本。守るべきものは守り、罰するべきものは罰する。そこから生まれる公共の益というものを優先することを社会契約的に生まれながらにして契約しているのだから・・




 それはさておき困ったのが自動車の受け渡し。土日にわざわざディーラーに足を運ぶのもなんだし、家まで送ってもらうのも気が引ける。そこで取った大技が研修所からの帰り道に、適当な駅まで私も出向き、ディーラーのおじさんにもそこまで車を持ってきてもらう。これならバッチリということで、とりあえず選択された駅がなぜか新宿。副都心にて新生ボレロに出会うのもなかなかに悪くないなどと思っていたのだが、これがそもそもの失敗。というか、よくは理解できないのだが私の選択した待ち合わせ場所が失敗。




新宿アイランドタワー




 世の人々が男女むつまじく待ち合わせをしている中で、こっちはおじさんと待ち合わせ。あげくお互いの服装を述べ合ってみるも、おじさんにいたっては「青い作業服を着てます」なんて当たり前にして、絶対的な返答が帰ってくる始末。そりゃあすぐに分かりました。他を見回してもどこにもそんな人いなかったからね。しかしこちらは普通にスーツ着ていたので、手をあげながら「私です」と言わざるを得ないこの恥ずかしさ。つくづくMの血が流れていれば良かったのにと悔やまれました。




 でも車検を終えた車は快調そのもの。うーん、満足???


[町のお医者さん]
Q:感覚的には車を買ったときよりも調子が良さそうな気がするのですが、これはどういうことでしょうか?
A:無自覚的な初期不良ですが、原因が車にある場合と本人の場合があります。後者の場合、CTスキャンの完備した病院へ通われることをお勧めします。



12月23日(土)

 せっかくこのサイトにもVBのコーナーが出来たので、ちゃんと更新してみようと思い、LOOX_launcherの見直しをしてみました。そもそも、不具合だと分かっているにも関わらずアップしてしまった状態だったので、やらなきゃイケナイ点の見つかること見つかること。ただ、正直いうと見つかってはいたのだが、修正のを知らないというものの方がやはり多いです・・




 アチコチをいじってわりと簡単に修正できる点については、いずれも修正してアップし直しておきました。一番ひどかったのは、なぜかヴァージョン表示画面にていきなり「ver2.00」と表示していたところかな。ははっ、先を行き過ぎているぜ。つうか、自己管理すら出来てねーぜ。タカジアスターゼ。すみません。




 修正したのは良いけど、現時点でも把握されている問題点はいくつかあるんですよねー。たぶんサンプルプログラム集みたいなのを買ってきて、読んでいけばそれなりにちゃんと使えるようになるのでしょう。こりゃあ、年末年始の過ごし方の選択肢としても良いかもしれない。ただ、呑んで毎日を過ごしてしまったり、DVDを見まくったりという可能性もあるのですけどね。安易に流れることなかれ。




 DVDといえば、wild things恋に落ちたシェイクスピアを見ました。なにがどのようにこのカラダに作用したのかは知りませんが、恋に落ちたシェイクスピアを見ていて、不覚にもカラダが痺れました。まあ、おそらくは電磁波の浴びすぎだとは思いますが、自分でも驚いてしまいました。大丈夫、泣いたりはしていませんから。右目の涙腺と左目の涙腺が既に結合されていますから。物理的に涙が出ない人間になっていますから。



12月24日(日)

 何日も悩んだあげくにやはり今年も仕方なく年賀状を印刷することとした。もともと筆不精な方ではないので、年賀状を作成すること自体はさほどの苦痛には感じておらず、現に裏面の印刷イメージなどは既に先週に出来あがっていたりするのだが(寝起きで15分で作成)、どうにもこうにもその後に繋がらない。




 なにが嫌かって、まず第一にプリンターが接続されていない。今年に入ってからマザーシップ機のHDDフォーマットを既になんどか行っており、明らかにドライバなどは抜けた状態。っつうか、何よりもまずプリンターがエプソンの2000CなんていうA3対応プリンタだったりするため、デカ過ぎて全てのケーブル(含む、アンビリカル)を外している状況にある。ケーブルを外したまでは良いのだが、その後場所をずらすのが面倒になってそのままに放置してあるというまさに混沌状態。




 その上印刷イメージはLOOXにしか入っていないソフトで作ってしまったので、常識的に考えればプリンターをネットワークプリンタとして設定する必要アリ。ダイレクトに接続しようにもうちのプリンター君は原則パラレル接続にして使っており、USBのケーブルなし。さらに、ここ半年以上プリンターを使用しておらず、その状況やインクの残量など全て不明




 この状況じゃやる気にならんてとぼやきながら接続開始。格闘すること数時間。ようやく印刷できるようになるも、プリンタージョブが溜まりすぎるとなぜかミスプリントを起こす。溜まりすぎるとと書いたが、実際には3枚分以上のジョブでエラー。それにきづくまでに20枚近くの年賀状をムダにしてしまった。仕方ないから印刷ボタンを時間を見ながら、何十回も押しました(涙)。日本の古式ゆかしき伝統って難しいのね。



12月29日(金)

 本日はうれしきこと限りなしの仕事納めの日。なんだか午前中から仕事が手についていないのだが、別段年末で減るような仕事の種類ではないので、単に集中力がないだけの話。昔っから風が吹けば勉強が手につかず、雨が吹けば気もそぞろという自閉症の子の爪の垢(パウダータイプ)を煎じて飲ましてあげたいくらいのライフスタイルを繰り返しているだけに、ちょっとイベントが起きただけでもうダメ。停電だの台風だのがくると楽しくて楽しくて、落ち着いていられない。天災が好きなのかもしれん。




 仕事納めということもあって、17時から別室でお酒を飲み始め、そのまま蕎麦屋で二次会。そこで飲み直して、蕎麦まで食べたのになぜか3次会4次会と場所は変われども、場はとどまるところを知らず。結局そのあとラーメンを食べに行って、帰れなくなって終日営業のマンガ喫茶にて始発を待っていました(たぶん6場所目)。一体全体なにを待っているのだろう?1000年紀の始まりを明け方のマンガ喫茶で待ちわびてしまうのだから、世界は面白い(30日になっただけだけどね・・)。




 様々な場所で、様々なシチュエーションにてそれぞれに人間は生活をしているのです。アイルランドのクリーニング屋さんと日本の佃煮屋さんの生活には一見なんの関連もないようには見えますが、そこには明確なボーダーが引かれているわけではなく、敷衍し延長して考えた時には「多少の個性」程度の違いしかないということになるのかもしれません。地球の大きさがまるで星の王子様のそれ程度であったのなら、バカバカしささえをも感じてしまうのでしょう。すべては単純なこと。すべては平板なこと(で、終わらせます?)。




 明け方に走る大江戸線も意外と込んでいてビックリ。ただし冬のつとめては、冷たくて暗いものでした。背を丸めながら外を歩くその寂しさが客観的に面白くて、わざと真似をしてみたりしていました。どうせだったら片目のネコを抱きかかえているくらいにしないと、いかんです。その程度までは考えておかないと、とてもじゃないけど胸の前で手をクロスさせた人形なんてもらえやしません。奈落の底に落ちるくらいじゃすまないかもしれないですから・・(ますます不明)。



12月31日(日)


 こんな時になんですが、無事に生誕27周年を迎えることができました。ありがとうございました。




というところで、20世紀終了です。みなさん、ご苦労様でした。











どうにも埼玉県与野市をイメージしてしまって、仕方ない。






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