2001年4月分バックナンバー





4月になるといつも思うのだが、いまだに解決していない現象





4月1日(日)



 またしても呑み明かす金曜日。ホントに忙しいのか、実は忙しい振りをしているだけなのかが自分でもまったく分からない瞬間(=等伎)。呑み始めるのが、1時過ぎというのがこれまた良く分からない。2次会や3次会のスタートする時間に1次会(←rhyme?)がスタートする。出遅れてる。しかし、そのままテンション上がりっぱなしで、店を出る4時。季節が季節であれば、夜が白じんでいるかもしれない。なんだか猛烈に寒い。




 ふらつく足取りでエレベーターに乗り込むと、新聞配達のにいちゃんも一緒に乗ってくる。世の中には心地よく新しい一日を始めて働いている立派な人間もいれば、まだ金曜日を終えられないダメな人間もいる。けだしタイと同じくらいの時間帯だろうか?などとおぼつかないアタマで考えていると、新聞にいちゃんが「もしやオオタケさんでは?」と話し掛けてくる。やめてくれよ、今はプライベートなんだよなどと酔っ払いトークをかましていたのだが、どうやら新聞の契約が4月1日で切れるらしい。




 さすがに朝の4時に契約が取れるとは思っていなかったので、契約書を配達所に置いて来てしまったということで、兄ちゃんは急いで取りに帰った。そりゃあ、そうだ。私だってこんな時間帯に、申込と承諾の合致を見るなんて思ってもみなかった。眠ってしまいたいのを我慢して10分ほど経過すると、チャイム(chimeって綴りだって知ってました?)が鳴った。さすがに向こうも悪いと思ったのか、それともいつもぜんぜん捕まらない人間がギリギリで捕まったのがうれしかったのかやけやたらと販推品を置いていった。




 洗剤*6、ビール券、事典*2、時計(なぜか計算機つき)。野球のチケットもどうだと言われたが、あまり興味がないので断っておいた。いま改めて冷静なアタマで思料してみるに、全部ビール券に換えてもらったほうがいくらマシだったか知れない。なんだったら、新聞にいちゃんと呑みに行ってみても面白かったかもしれない(!)。と言うわけで、久々に経験した22時間に渡る一日は終焉を迎えたのでした。そして社会は新年度へと突入するまで残り20時間を切っていたりします。





4月7日(土)



 ったくもって自分の時間がない。そりゃあ、時期も時期であることだし、多少なりとも仕事の量が多いっていうのは、16M(SIM8Mを右脳と左脳に1枚づつ)しか積んでいないこのアタマでもかろうじて分かる。だからと言って、平日に15時間も働かせたあげくに通勤時間が3時間近くもかかってるっつうのは、どうなんだい?そこ行く兄さんよー(よたり気味)。あたしゃ、どこで眠って、どこでご飯を食べれば良いのだい?ウィダーインゼリーの15秒がもったいないんだが・・




 土日は通常休暇となっているのだが、片方はほぼ出勤している状況(もう片方は日常処理をこなして、死んだように眠っている)。外出する気力もない。思えば非人間的な生活が始まったのは、2年位前の話だった。新しいプロジェクトだかなんだか知らんが、やけやたらと処理しなくてはならない問題が山積みとなった。それに何とかケリ(花ののように移ろえば良いのに・・)をつけたのが、2000年1月。ふぅと息をつけば、なぜか4月から別件炎上。




 もうドタマ(?)に来た。許さん(行方不明)。なんかとんでもない事しでかしてやる。脊髄の神経網を全部引っこ抜いて全部100baseTのストレートケーブルとかにしてやろうかな。思い切って、ケーブルとかを首の辺りから外出しにしてしまって、ちょっとザク気取りで一般生活を送ってやろうか?微妙に一本外れてたりして、周囲をドギマギさせてやろうか?多少の火花程度だったら、飛んでいても良い。バチっバチっと青い閃光が飛び散っているくらいがちょうど良い。




 なんだったら、左腕とか義手にしてやろうか?もちろん、義手をスポッと外すとバズーカ砲みたいなのがぬぬっと出てきて、波動胞みたいなのを撃てるヤツ。たまに昼ごはん食べている時とかに暴発して、せっかくのカツカレーを木っ端微塵にしてみたり・・。会社でミスって怒られている時とかに、下向いて「すみません」とか殊勝なコト言ってるんだけど左腕はもうエネルギー充填されちゃって、なんか筒の奥のほうで光を放ってるし、キュィーンとか音してるしみたいな事態。




 だめだ。どれもこれもまだ現代科学の最先端(?)だし、臨床医に依頼したところで対応できるような代物とはとても思えん。そもそも保険が効かなさそうなコト、この上ない。そこでもう一度最初から考え直してみた。そもそも永続的に厳しいこの状況を表現するのに、瞬間的な行為・変化を持ち出すということ自体が間違っている。表現方法も継続的にして、連続的なものであるに如くはなしとフェノロサは言った(うそ)。




 ということで決めました。先ほどドラッグストアに行って、ブリーチ剤買って来ました。少しづつ色が抜けていくヤツ。なんだか説明書を見る限りでは、6回くらい使用すると明らかな金色となるようです。これから先、休日出勤するたびにこのブリーチ剤を使用することにしました。取りあえず先週の休日出勤後に一回使用してみたのですが、それほど大きな変化はありませんでした。さーて、これからどうなっていくのやら?明日も休日出勤となりそうです。




4月8日(日)



 昨日、私にとって命の水分たるペットボトルを購入する際に、脇に「サルサソース」が陳列しているのを見つけてしまいました。その昔、異国の地で遠流のような目に遭っていた頃に、スーパーにて理解できる食料を探してうろついていた(なんだったら椰子の実とカナヅチを買って帰ろうかと半分本気で考えていた)ことがあります。そんな刹那に知らないねーちゃんから教えてもらったのが、トルティーヤとサルサソース。これでもつけて食べるが良いよん言っていた(多分)。




 トルティーヤってなんか塩味しかついていないチップスだった気がする。んでもって、サルサソースはちょっとピリッとしたトマトベースのソース。ホントは、こっちのほうが100倍美味しいと言って(多分)、お好み焼きの粉のタコスバージョン(タコス☆リミックス)も見せてくれたが(確実)、さすがにそこまでやる気にはならなかった(確か)。せっかく教えてもらったのだからといって、トルティーヤチップスを買ったのは良いが、余裕で日本で買うポテトチップ4袋分はありそうなその量に打ち負かされそうになったという思い出を語ってみました。




 そんな甘美(?)な思い出を抱きしめながら、サルサソースとトルティーヤはなかったのでプリングルスの恐らくもっともシンプルな味と思われるモノを買ってきました。また栄養のなさそうなものばっかり食べてと栄養士さんに指摘されそうですが、そこは大丈夫です。サルサソースはちゃんと「野菜ざく切りディップソース。食べるサラダ」と謳っておりました。なんかこの「ざく」と言う音感だけで、既にヘルシーフィーリング1000%です。まったくもってジャンクフードを食べている時の罪悪感を感じないで済みます。




 辛いものが苦手な私ですが(んじゃなぜ買ったんだ?)、パラペーニョの辛さも適度だったのでOK!瓶詰めになっているのですが、あっという間に全体の5分の1程度を食べてしまいましたとさ。すこやかならず、やすからず。ああ、すこやかならず、やすからず。




4月14日(土)



 ふと千鳥足で立ち寄ったコンビニエンスストア。目的はマミー(500cc)となりにけり。500ccサイズの紙パックに入っているジュースっていうのは、ブリックパックとは言わないのかい?(←やや、オザキ) なんか感覚的には「僕たちいつでもPICNIC!」の200ccサイズがブリックパックとも思われるけど・・。たぶんブリックパックのブリックは「brick」(レンガ)から来てるのかい?(←用法誤り)




 どっちがレンガっぽいかって、やっぱり500ccでしょう。さて、ではここで問題です。「やり手の中堅社員と、それを目にかけていた専務がいました。彼らは法律ギリギリのラインにて仕事を進めておりましたが、その業績には目を見張るものがありました。しかし、些細な行き違いから裏切られた腹心の部下が思わずカッとしてしまい、タバコを片手に窓の外を目を細めて眺めていた専務の後頭部を殴打するときに選ぶ手元のモノは、次のA・Bどっち?」


 A:200cc相当のコーヒー牛乳が入っていると思われる直方体。
 B:500cc相当の乳酸菌が充填された肌色の液体が入っていると思われる直方体。


 常識的に言って、平均的な日本人成人男子の93%がBを選択するというのが平成12年実施の国勢調査で判明しています。ちなみにこの数字は、1980年代の米国での水準となっています(図14参照)。そもそもアルタイ語族に属するとされるモンゴリアンの特色としては、白いマットの上に立つと思わずチョップをしてしまうという憎めない性格があるのだが、それについては拙著「肉屋とチョッパーと私」に譲ることとする。




 話が見えなくなってしまったが、やっぱりどっちかと言うと500ccの方がよりレンガに近いのではないかと思われる(レンガ10番勝負)。ちなみに大学受験を行っていた頃に単語集をぼんやりと(相変わらずだ)眺めていたら、「bale-俵(たわら)」などという記載にブチ当たっておもわず「エゲレスにも米俵はあるんかい?もしかして加賀百万石なんて通じてしまったりして」などと新潟方面よりの発想をしてしまったあの頃が懐かしかったりします。




 ぜんぜん話が飛んでしまったのですが、言いたかったのはマミーを買うレジにて思わず宇多田ヒカルのCDを買ったということでした。最近のコンビにではCDのみならず、ビデオやらPCアプリやらとあちこちの方面に手を出しておられるようですが、恥ずかしながら私それらに手を出すのが初めてだったりしたものですから、ちょっと皆様に報告をしてみたくここに記載しようとしたら、ぜんぜん違う方向に話が飛んでしまった次第にございます。




 ちなみに現在の職場の近くに東芝EMIがあり、毎朝宇多田ヒカルさんのガッツポーズのポスターを見ています。さらに脱線するのであれば、東芝EMIの一階の部分はガラス張りのちょっと広めのスペースとなっているのですが、夕方とかに通りかかったときにそこに金髪とかのねーちゃんがおじさんと話しこんでいたりするのを見ると、思わず「デビューに向けて頑張っているのやね」などと分かったようなコトをひとりごちている次第です(詳細不明)。





 さー、頑張っていこー。



4月22日(日)



 いやいや、激しい嵐のような一週間が通り過ぎた。そもそもの出だしは水曜日。時期的に決算業務も入ることだし大変なのは分かっていたのだが、何はともあれナニヒトツ進みやしない。本来月曜日に提出することになっている書類もまだ提出できていない。通常の書類であればまだしも、決算関連ともなるとそうも行かない。なんせ決算をメインでやっている部署は、この時期になると会社近くのホテルを借りて突貫作業なのだから。余計なことをするとホントに刺されかねない。




 結局この日はAM2:00まで頑張ってみたものの、ぜんぜん終わらず(涙)。自身の能力のなさを超越神に八つ当たりしつつ、取りあえずその日は帰ることとした。っつうか、帰るってどうやって?タクシーで帰ると1時間以上・1万5千円以上。ここは帰らず近くのホテルでも探したほうが良いだろうという予想は出来るのだが、そもそもホテルなんてどこにあるのか知らず。仕方ないので、タクシーに乗って近くのホテルまで連れて行ってもらうことにした。




 2件ほど断られ絶望的な気分であったのだが、最後の一件で無事に寝場所をGET。ふと嫌な予感に襲われ、フロントに「××会社の経理の人間とかって泊まっていないですよね?」「いや、団体さまでお泊りいただいています」なんてお洒落な会話のキャッチボールをやり取りしてみる。最悪すぎる。絶対なにが何でも見つかりたくなさすぎる。牛乳ビンの底メガネか、付けチョビ髭(≠青髭)かカツラを探したのだが、そんなパーティーグッズも見つかるはずがない。




 こそこそと部屋に入り、缶ビールを飲みつつもなぜか読書にいそしみ寝るのは3:30。明日は遅くまで寝ていられているという妄想のなせるワザだが、計算すると通常よりも睡眠時間が減っていることに気づいていない。あげくツインの部屋だったのだが、思わず深夜に模様替えみたいなマネをしてベッドを二つくっつけてゴージャスな雰囲気を楽しもうなどとバカなことをやってしまった。ちなみにベッドの下全面に魔除けのお札が貼付されていることもなく安眠できた。




 同様の状況となる木曜。今日も帰れないのかと思いつつ探すホテル。本日はホントにどこも空いてなく、仕方なく入るカプセルホテル。初めてのカプセルホテル体験。見たこともないのでまったく分かっていないのだが、感覚的にはラキシスが眠っていたようにまさにカプセル状になっており眠りにつくときには上からフタが閉まり、なんだったら羊水と成分を同じくした液体が充填されるのかと思っていたのだが、どうも私の入ったところはそういうシステムになっていないらしかった。




 大体がなんか寂しい雰囲気に支配されているところだった。なんだかアリ塚みたいな状態になっており、見た目的には吉見百穴(見たことないんだけど)。寝タバコ厳禁なんて書いてあったけど、確かにあんな状態で火災でも起きたらみんなキレイにムニエルだと思う。もっともあそこまで余計なものをなくしてしまえば、そもそも燃えるものもないのかもしれない。だが、残念ながらフタはなく(あったら、酸欠だ)、なんだかカーテンのような布で廊下と仕切るのみ。安眠できないこと、この上ない。




 金曜日はというと、既にボロボロの状態。惰性で働き、なんの前触れもなく笑い出す始末。しかも周りの人が不思議がってくれない現実。私の日常はどうなっているんだろうと不安に落ち込む自分。終電で帰りついた自宅には、なんだかよどんだ空気が蔓延している。そもそもポストには信じられないほどの新聞が差し込まれている。ネットにつなげば、未読メールが180通。倒れそうになりながら、受信。一部ミラーリングさせているアドレスには、140通。合わせて320通を受信して、そのまま死んだように眠った。





読めるか、こんなに?



4月29日(日)



 久々に読書してみました。現在の状況からあまり濃密なのは読めなさそうだったので、ホラーモノということで飯田譲治・梓河人「アナザヘヴン」を選んでみました。この物語を進める上での象徴的なポイントとして、犯人による人の殺し方があるのですが、これがまた凄まじくてとてもじゃないけど万人にお勧めできるものではありません。でもこのタッチがダメな人は、この本を読む意味がないかもしれません。




ちなみに私の中で一番印象的だったフレーズは、「表面に黄色い油が浮いてたりすると・・」ですね。キテます。





 全体的には尋常ならざる状況での殺人が連続して発生し、それを追う刑事。そしてその刑事たちを取り巻く人間たちを扱っている作品です。この作品の中では、頭のカタさがひとつのキーワードとして出てきます。主人公の飛鷹刑事はいわゆる一般常識を持ち合わせた人間。それに対して、早瀬刑事などは精神世界やオカルト的なもの、果てはUFOなどの存在に対して否定的な視点を持たない。むしろこの小説においてそれら不思議な事象を正面切って取り合わないのは、飛鷹刑事と警察組織くらいのものだったりします。




 後半から小説の途中でひょろひょろとUFOが飛んでいたりします。そして飛鷹刑事もその事実を認めざるを得なくなっていくのですが、このあたりが非常に難しいところだったりします。いわゆるホラーモノでも最近のものはまったく得体の知れないモノを犯人に持ってきているわけではなく、たとえコジツケであったとしても科学的な説明に裏付けたものを出してきているケースが多いように思います。物語全体を荒唐無稽とさせないために・・。




 もちろん、小説である以上は現実からの飛躍はある程度必然なのですが、それに対する一定レベルでのエクスキューズはなされているように思うのですよね。だけど、このアナザヘヴンにおいては、それがほとんどなされていない。この「ほとんど」という部分がポイントで、結果として私が感じたのは荒唐無稽さではなく、別観点としての世代間での感受性の違い。もしくは、個人間での違い。どこに救済ラインを引くのが2度目の千年紀を迎えた我々に相応しいのでしょうかね?




 自分の感性を以って、表現されたものを自分の中に取り込んでいく。取り込む際にそのフィルターが個々人で異なっているのだから、受け取り方が異なるのも当然。その結果として、自分の感性と一致するもの・一致しないものが出てくる。一致するものなんて滅多にないのだから、それを探し出せたときの喜びたるや押さえ切れないほど。一方、一致しないものがあるから人はそこから新しい世界を見出すチャンスが与えられているのかもしれない。僕は今の自分の延長以外にも興味がある。











そもそも4月が新学期などといった区切りになっているのは誰が・いつ決めたんだ?







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