2001年9月分バックナンバー





easy,easy




9月1日(土)



 せんだって購入した携帯MP3プレーヤーであるが、これがまた結構便利。小さくて持ち運びしやすいし、そもそもメモリーカードに入っているデータなので音飛びもない(念入りに振り回しても音飛びしないのかどうかは知らんけど・・)。また曲の入れ替えについても1、2分程度で完了するという手軽さなので、わりと頻繁に入れ替えをして遊んでいる。




 ただ一点敢えて言うのであれば、駆動エナジーに乾電池を使用しているタイプなのだがこれが長所あり短所ありであったりする。出先で電池切れを起こした時に乾電池であればわりとすぐに入手することが可能であるという点は確かに評価に値するのだが、私の使用頻度だと1日ちょっとで電池切れを起こす。へろ。




 常にバッグの中に電池のパックを入れているのだが、1日で2本の単四電池がなくなって行くので、これがまた出入りの激しい話となる。街の電気屋さんなどに足を運ぶと40本入りなどといったパックも売ってたりするのだが、それでも満足できない。僕の欲求不満は募るばかり。豊かに満たされる電気エネルギーの中で、恍惚感の中で眠りたい。




 というわけで、本日ヤマダ電機にまたしても電池を買いに行ったのですが、ふと電池コーナーにて気づいた。こんな一般消費者向けのパックを買ってるから、万年電池不足状況に陥るのに違いない。思いきって業務用っぽいヤツを入手してしまえば良いのではなかろうか。そう、きっと僕のグレード・キャパはもはや業務。




 パナソニックからヤマダ電機に卸す際に使用している箱ごと電池を購入してみました。12本入りのパックが20パック。およそ2万円。店員も驚いて「いったい何に使うんですか?」などと尋ねてくる始末。よっぽど「家の電気が止められてしまって」と答えようかと思案。持つとずっしりした重量感であり、まるで初めて自分の赤子を抱く父親が感じる責任感のようなものを腕に感じながら、店を後にしました。



9月2日(日)



 以前にISDNを引くことがちょっとしたブームになっていた時には、それほど揺さぶられることのなかった我が胸のうちも、なんだか今回のADSL攻勢にはもうメロメロ。ヤフーBBのニュースが発表された時から取るものが手につかなくなり、近づくとダメ人間になると信じ込んでしばらくは傍観のふうを装っていたのだが、それももはや我慢の限界。蝋燭の炎が致命的であることを承知で幻惑されてしまうガのように申し込みに入り込んでしまいました。




 現在ではヤフーのほかにも様々な業者がADSL回線提供を行っており、私もあちこちの業者のサイトを回ってチェックしてみました。もうここまで来ると誰もオレを止められねー。太陽が隠れ闇が世界を支配しようとも、また光が再び世の中に自分の存在を強くアピールしようとも、我が好奇心が満たされるまではこの勢いとどめてなるものかとぞなむ。




 いろいろと見てみたのですが、そもそも私の居住地区に対応している業者がさほどなく、結局ヤフーに落ち着くことになりそうです。ネット上で申し込みをすると、あっという間にレスポンスが戻ってきたりしてけっこう良い感じです。2,3度のメールのやり取りがあって、現在はヤフーとNTTとの間で工事に関する折衝を行っているらしいです。うーん、待ち遠しいぞ。はよ来たれ、我がブロードバンド人生よ。



9月8日(土)



 いまさらながらのことではあるのだが、物質としての貨幣を使用した購買行動にはお釣りという制度がついて回る。ごく当たり前の日常行動ではあるのだが、これがまた真剣に考えてみると意外と難しくて、私なんてここ数週間怖くて必要なものはカード決済か銀行振込による通販ショッピング、もしくは物々交換か自作自農(≠自作自演)行為に打って出ておりました(ウソ)。




 私がノイローゼに陥ったのは、そもそもお釣りという制度が金員の受領側と支払側の両者によって成り立っている共同行為だという認識を抱いてしまったことによります。従来は漠然とお釣りというものは受領側の単独での行為だと思っていたのだが、これがまた冷静になって考えてみるとまったく違う。いや、むしろ支払側の重要度合いの方がよっぽど高いのであり、間違ったあるいは正しくないお釣りの支払いというのは支払側の責任と言って差し支えないと思う。




 例えばコンビニにて500CCペットボトル147円也を購入したとする。手元に147円ピッタリあればそれを払うのが通常の流れかと思う。もっとも手元に小銭の残りが少なく、しかも紙幣も高額紙幣しか残っていないなどといった場合に、使い勝手を考えて小銭を出さずに突然10,000円札を真顔(ポーカーフェース?ダウト!)で差し出したりもするものだが、それはまた別の問題としたい。




 小銭はあるのだが、ピッタリ147円ない場合はどうだろうか?手元の金員構成にも拠るのだが、500円・200円・150円での支払はレギュラーケースとして容易に想定できる。また、簡単に考えて、550円といった支払もある。そして、もう少し高度に507円などと端数分を出すことがある。もちろん547円という支払もOK。ただし、日本においては247円の支払はありえない。そんな支払が出来るんだったら147円だけ出せとなる。また、少しレベルをアップして、502円・202円・152円といった5円ずらしの技もある。




 これが142円だったりすると147円のときとはだいぶ趣が異なってくる。145円・147円・152円・155円・157円・202円・205円・502円・505円などという支払が有効であったりするからだ。先ほど有効であった5円ずらしの技は概念的にありえない。ちなみに、192円や207円なんて支払いはエラー。もはや支払時にエクセルかなんかを横に用意しておかないと私の技能では瞬時の正しい支払など出来やしない。しかも今回は紙幣での支払という概念をばっさりと削除しているが、実際には1,000円・2,000円・5,000円・10,000円各種の紙幣が存在しているのだ。




 紙幣だけで考えると、7,000円の物品購入時には10,000円札を1枚出すよりも11,000円出してみると理論的なお釣りは2,000円札2枚となり「正しい支払」が成立するのだ。ただしもちろんこれには相手方が2,000円札を保持しているかどうか?また、持っていたとしても4,000円のお釣りに対して2,000円札2枚を利用できる能力を有しているかという読みカンの世界が台頭してくるのである。




 もっとも私の知る限り7,112円の買い物をした時に12,055円を差し出すような人物には今までお目にかかったことがありませんが・・。これで20円玉とか25円玉なんてものが出てきてしまった日には、一体全体どのようにしたら僕はレジの前でクールに支払が出来るのでしょうか?勢い余ってお釣りは全て募金箱に入れてしまい、落涙している姿が目に浮かんで仕方ありません。いやん。お釣り検定(釣り検2級とかさ)とか国家試験で作れば良いのに・・。



9月15日(土)



 DVDにて楽しんでいたドラマ「ケイゾク」は行き付けのレンタルビデオ屋の入荷状況が全6巻のうち4巻までしか入っていなかったため、結末が分からないまま「まさにケイゾクだな」などと一人ごちていたのですが、このたび残りの2巻が無事に入荷いたしました。もちろん見つけるなり即レンタル。ビバ、DVD。




 というわけで今週は睡眠時間を削って見てしまいました。もはや健康状態ボロボロです。歯を食いしばって遊ぶというのも、ちょっと考えた方が良いのかもしれません。血の滲むような思いをして、奥歯をギリギリ言わせながら見るDVD。面白ポイントでは顔をひしゃげて、まるで顔面神経痛に犯されたかのようなリアクションをする私。




我ながら々しい。




 内容のほうも面白くて、結構楽しんでしまいました。特別編とかの映画も以前に見てしまいましたし、なんだか中谷美紀と渡部篤郎に騙されているような気もしますが、それはそれでもう良いです。あちこちに謎をちりばめながら、精神世界にも踏み込んで行っている作品ということでしょうか。おかげさまで破綻に彩られた人生に憧れているので大丈夫です。




 ちなみに憧れが高じて、今週は「ケイゾク」を見終わった後におなじくTBSドラマのDVD版「QUIZ」全11話まで見てしまいました。こんなドラマがあったこと自体知らなかったのですが、こっちもなかなかに面白かったです。なんだかキャスティングが興味ある人ばかりで、これはこれでまた騙されているんじゃないかという気もしますが・・。・・今日はゆっくり寝よう。



9月17日(月)



 最近の私の職場状況に対する思いはただひたすらの絶望。きっとこれが終われば楽になると信じて走りぬけた後に待ち構えているのは、常にそれを上回るような大いなる山。あげく下手すると富士山のような単山ではなく、まるでモンブラン。山あり谷ありの人生だとは言うものの、一体全体楽なのはなのかなのかせめてそれだけでも教えて欲しい。




 昨年の今ごろにはせいぜい今年の3月くらいまででこの騒ぎは終息するだろうなどと話していたのだが今となっては笑い話。間違って5月とかまで続いていたら死んでしまいますねぇなどとのんきに話していたのだが、いまや既に9月も後半戦。ひとつ感動したことがあるとするのであれば、それは人間の生命力。眩いばかりに光を放ちながら、しっかり生を営んでいる。




 職場の人とこの状況について語り合うにあたり、最近では我々は前世においてよっぽど悪いことをしたに違いないという結論にいたりがち。前世にでも根拠を求めないことには、この状況に対する納得感のある説明は出来やしない。愛する子供を理不尽な理由で亡くした家庭に怪しげな宗教が蔓延るように、我々の心をつかんで離さないその信念。一体全体私は前世にて何をしたのだろう?




 ヨーロッパにおいてネズミを使ってペスト菌を頒布したとか、ダラスにてケネディ大統領の暗殺しただとかは余裕でやっちまっているに違いない。龍の鱗の中でも逆さに生えているものだけを集めて、おもわず夏休みの宿題としてモービルを作ってしまったのかもしれない。いやいやもしかしたら、蛇にそそのかされたとはいうものの、知恵の実でジャムを作って瓶詰めにし、軽井沢辺りのペンションでテニスラケットを抱えた観光客相手に小銭稼ぎをしていたのかもしれない。




 しかも恐ろしいことにおそらく現世での生き方からして、この罰ゲーム人生は来世に持ち越している可能性が高いです。オーストラリアなんかでロッタリーの持ち越しが20回とかに及び、当たりゃあ億万長者なんて事態があるようですが、私の人生逃れられないところまで来ております。物の本によると、野麦峠の女工の方が労働時間が短かったという話もあるようで・・。ああ。



9月23日(日)



 私のPCライフにおいて最も愛して止まないアプリケーションと言えば、それはエクセル。病んでるんじゃね―かという話もありますが、職場のPCなどではノーツとエクセルだけはほぼ常に立ち上がっているガンダム状態だったりします。将来的には神聖エクセル帝国などと称して、エクセル信奉者だけで愛の国を築き、私はそこでトランプの兵隊になるつもりです(不明)。




 もともとエクセルなんて会社に入るまで触ったこともなかったのですが、特に入社してからの1年は業務的にムチャムチャ余裕があったこともあり、やることがなくなってあれこれエクセルをいじって時間を潰し、エクセルジャンキーとして土気色の顔にエヘラエヘラした危険な表情を貼付しておりました。通常ワードで作成する報告文書をエクセルで作成し、人の作成したワード文書もOLEにてエクセルファイルの中に入れて保存・再配布するトンがった毎日を送っていたのもこの頃です。




 およそ私のエクセル習得歴はといえば、初期の基本機能習得、第二期のマクロの記録習得、第三期の関数習得、第四期のマクロ発展機能習得という感じに分類されます。ちなみに既にその歳月たるや4年を数えておりますが、その深遠なる理は正に端倪すべからざるものであることにようやっと気付き始め、関数3年・VBA8年などと新入社員に吹き込む毎日です。




 私なんざはエクセルLOVEな人間なので、アクセスを使うということがほとんどアタマに上ることがなく、およそアクセスなんてものは65536行を超える長大なデータを1次格納するための中間ファイルと信じていたりします。集計だのマッチング処理だのも含めてエクセルで全て処理。まさに偏食。




 ただやはりキー項目が多いときの数万行に渡る「集計」などはマシンパワーへの依存の甚だしいことこの上ありません。私の会社で支給されているマシン、MMX166などという「LOVE&PEACE」な端末ではファンの音をブンブン唸らせながら作業しています。あまりに激しい作業の時には会社の上司を騙して(?)、自宅のマシンで処理するという非公認在宅勤務にスイッチしたりもするほどの高負荷さ加減。




 ただ、重い作業の時には高スペックマシンで作業すれば良いというのも芸がないだろうということで、最近では一念発起し、組み込み機能の集計を使わず、自分で集計機能をマクロで作成している次第。 これがまた初めから組み込まれた集計機能とは段違いのスピードで感激することしきり。2万行の集計が通常であれば30分近くかかるところ、10分程度で出来たときにはエウレカ!エウレカ!と叫びながら裸で街を走り抜けてしまいそうになりました。




コイツ、マジでどうする?








easy,go!




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