2002年1月分バックナンバー





わが極めし茶の道は、




1月2日(水)


 こう見えても(?)12月31日に誕生日を設定している私としては、つつがなく28歳になったとされている。お恥ずかしながら幼少のみぎりには自分の年齢を指折り数えるという作業を怠っていたため、正直な話、自分が本当に生まれてから28歳経っているのか?また誕生日は12月の31日であるかどうかについての確信は皆無。少なくとも小学校にあがるあたりまでは意識が相当程度混濁していたため、ミニマム22歳。マキシムは算出不能。



 暇があれば本を読んで杯を傾けるだけのかなりダメな部類に所属している私ではあるが、他山の石を自己実践するだけでもそれなりの経験は生じる。社会に出てからも5年近くの月日が経ち、年齢的にも良い大人ということもあり、そろそろ人間的に熟成されてきても良いのではないかという気がしている。このまま、まるで米麹を入れ忘れた日本酒のようにただただ古くなっていくというのも悲しいものがある。



 そこで本年の計というか、コンセプトみたいなものを考えてみた。まず最初に浮かんだのが、「フルーティー」だったりするのだが、冷静に考えてボツ。ワインを飲んだ時に片っ端からこの言葉を吐いてしまう不幸な人間だと思われかねない。そもそもコンセプトが見えてこない。次の「ユビキタス」も意味が分からないのでダメ。「リリック」はだいぶ良いようにも思うが、「ミミック」や「ギミック」と間違えられないか不安でもある。



 漢字で攻めると「友愛」なんてのが良いかなぁ。ウソ。一番嫌いな言葉の一つで、虫唾ダッシュに気分を悪くしたい時にはこの言葉を3回唱えるだけで効果てきめん、顔は真っ青、先は真っ暗とあいなる。ちなみに、「慈愛」「博愛」も一緒。それはもう、いっぺん笹川一族に徹底教育を受けたほうが良いのではないかと含み笑いをしてしまうほど。どちらかというと「自愛」。自虐的に言えば、やっていることは「アイアイ」。客観的にそんな私を表現する言葉は、「悲哀」。



ダメだね、きっと。



1月4日(金)


 昨日は、年始恒例の親戚周りに精を出してきました。我が家は直系の親族が少ないとはいうものの、1日ですべての挨拶周りを終わらせるというのもどうかと思います。もともとはといえば、親戚周りを連日行うのは体力が必要となるが故の一括化だったような気がするのですが、冷静に考えて1日で3軒もの家での宴に参加するのはよっぽど体力自慢の所業のような気がしてきました。たぶん。



 86歳にしてマシンガンのようにしゃべりまくるおばあさん。なんだか庭先に水着が干してあって、聞いてみるとこのまえ泳ぎに行ってきたそうだ。話しまくるわ、人にお酒を勧めまくるわで、気分はさながらジェットコースター。あんな86歳はどこに行っても見つからんのではないかと思う。妖怪だよ、絶対。血液中にタウリンとかが1,500rぐらい入ってそうだもん。玄関口で挨拶だけと思っていたのに、ものの見事に引きずり込まれていました。



 そのおばあさんの脇に住むおじさんがまた、口の悪いことこの上なし。「キッタネー家だろ?一人でこんなキッタネー家に住んでんだぜ」と言いながら壁をバンバン叩く。毒蝮か、あんたは?私はほとんどこちらの一族の方には顔を出しておらず、昨日もみんなが集まっていたわけではないのでよく知らんが、ここの一族はみんなしてこんなキャラクターとなっているらしい。物静かな人間が来たりすると数日間寝込むという噂もある。なにがどうなっているんだろう?



 その他にもなにかあると「知らないじゃないんだから・・」と意味深に笑みを浮かべるおばあさんとか、ビール・ワイン・日本酒・ウィスキーを同時並行的に・かつ底なしに延々と飲み続けるおじいさんとかいろいろな人と会って来ました。あー、あと3ヶ月くらいは人間と会わなくて良さそうです。人酔いしてしまいました。ちなみに86歳のおばあさんは子供の頃からしゃべり続けていたらしく、「ラヂオ」なる愛称で呼ばれていたことが別の人からの証言で判明いたしました。なるほど。



1月14日(月)


 ついに、買っちゃったよ。「もののけ姫」DVD。もともと宮崎駿さんの作品にかなり惹かれていました。風の谷のナウシカとかって面白いですよね。映画版ももちろん良いんだけど。コミック版をまだ見たことのない人はぜひどうぞ。ありきたりな環境保護論に収まらない厳しい物語展開が待っていたりします。自然と人間を対立する存在とする図式ではなく、自然を破壊する人間を含めて自然が成立しているという観点。僕らはなにを信じれば良いのだろう?



 もののけ姫については映画が公開された際にはすぐに見に行ったのですが、DVD発売に際してはなぜだかすぐに購入出来ませんでした。映画自体はとても気に入っているのだけど、なんだかね。買えないんだよね。手軽すぎてしまって。本とかでもそうなんだけど、たまたま買った本を読んでみたらとても魅力的であったというパターンだから受け入れられるんだけど、自分を揺さぶった本が千円札1枚と交換できるなんてとてもじゃないけど信じられないし、受け入れられないんだよね。



 じゃあ、なんで買ったのかって、っ払っていたから。てへっ。



 だいぶ酔っていたみたいで、「『もののけ姫』はこうして生まれた。」なるメイキングDVDまで買っちまいました。メイキングだけで別売りにするなよとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、意外にメイキングだけのくせにDVD3枚組みのヴォリューム感(≠膨満感)。時間にして6時間40分。ちなみにテレビCMでもやっていた通り、本編側もDVD3枚組みだったりする。



なげーよ。連休が終わっちまったじゃねーか。返してくれよ、わしのハッピーマンデー。



1月26日(土)


 ふと、思いついて上野で実施しているニューヨーク近代美術館(MOMA)に行きたくなりました。なんでも上野での開催は二月のアタマまでということで、残された時間はあとわずか。急げ、オオタケ!という感じです。およげ、たいやきくんじゃありません。よく考えたら、これって命令形です。たいやきくんに対して上位の関係にあるかの所作ですが、考えてみればたいやきと比較の対象になるような位置取りのほうが懸念事項です。



 電車を乗り継いで、山手線にやっと乗り込んだ時にはすでにお疲れ状態。「グロンサンを探す勢い」とは古い謂いであるが、まさにそんな感じ(?)。西日暮里にて目の前の席が空き、一点の曇りもない眼(まなこ)にて座り込む私。さらには、日暮里手前でなんの躊躇もなくその眼(まなこ)をつぶり眠りに入る私。眠い時には眠る。これ基本。インド人ウソつかない。間違えた道を歩んだのであれば、戻れば良い。山手線で行き過ぎたのであれば、待てば良い(凛)。



 というわけで、次に気が付いた時には原宿。ものの見事に真逆。仕方ないので、読書を楽しむ私。身の回りの人たちはどんどんと降りていく。当たり前と言えば、当たり前。およそ山手線に30分以上乗り続けるは、地方出身者。60分以上乗っているのは、○○××と相場が決まっている(どちらも「好ましからざる表現」)。みっちり1時間20分ほどの山手線車窓の旅を楽しみ、上野駅にたどり着きました。なんで、電車に乗るだけの普通のことがまともにこなせないのだろう?



 あげく着いてみれば、2時間待ちの大行列。さすがにこの寒さの中で、7,200秒を数える気にはならず(幼少の頃には、お風呂にて20秒を数えるのすら嫌だった・・)、不忍池をチラッと横目で見ながら帰ってきました。うーん、一体どれだけの時間をかけて、なにをやっているんだろう?・・だいぶ不毛かも。意表をついて、不忍池にてボートで爆走なんて試みてやろうと思ったのですが、残念ながらボートは時間的に借りられませんでした。セキュリティばっちりじゃねーか(?)。









「裏千家」と豪語する友人。




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