2002年5月分バックナンバー





最近の生活状況をかんがみるに、




5月12日(日)


 本日明け方までかかって、妹尾河童氏の「少年H」なる本を読了した。既に文庫本にもなっているし、確か映画にもなっていたように思う。しかとは覚えていないが、世に出たのは5年ほど前ではなかっただろうか?まあ、私の読書が時の流れの外に置かれているのは、今に始まったことではない。大学生の頃には、新しいものと古いものを半々程度の割合でブレンドしていたが、最近は古いもの尽くし。おそらく本屋に行く回数が減ったのと(まとめ買い)、世の中の動きから完全に外れたのが原因かと思う。



 内容は戦時中に営まれる幼少時代の作者の日常を著したものなのだが、戦争を題材とした多くの作品のように中毒を起こしてしまいそうなほどの息詰まる暗さや閉塞感を前面に出していない。これはおそらく筆者(=少年H)が天真爛漫な明るく賢い人間であり、かつ好奇心に溢れた悪ガキであることと、父親がバランスの取れた先進的なモノの見方をしていること、母親や妹が愛情に溢れた人物であることなどから来ているようだ。



 物語は時代を追って進んでいくが、幼少の頃においては少年Hは大人達から叱られる程度に悪ガキであり、なおかつ怒られた時にその事をきちんと反省できる程度に素直なのである。そして物事の後ろに隠れた理由を推測し、それを口にして良いことと悪いことに分けて考えることが出来る少年として描かれている(もっとも、たまにその判断は誤っていて、殴られたりもするが・・)。私の目には、気持ちの良い少年と写った。これは論理的に物事の説明を行う父親によるところも大きいと思う。



 私は戦争を体験していないので、なにが現在と同じで、なにが現在と異なっているのかということをまったく了解していない。一方で、戦争を経験した人たちは、当然のことながら当時の非日常的な部分をトピックとして語る。私には、ここがズレの始まりに思える。食べ物は常時不足していたのだろうが、だからといって日中戦争がはじまってから戦後の混乱期にいたるまでの10数年に渡って木の根や草のみを食べていたとは思えない。米を食べることもあっただろうし、肉を食べることもあったのではないか?



 少年Hは、映画を見に行ったり、小説を買ったり、闇で買った米や肉を食べたりしている。それゆえに私はこれらの物語を「現実に起きたこと」として感じることが出来た。つまりリアリティを感じたのだが、それゆえに影の部分も「現実に起きたこと」として浮かび上がってくる。この本は、彼の目線を通じて進展する物語とこれらの時代風景を愉しんで・興味深く読める一冊でした。文体は軽いので、まだ読んでない人はいかがでしょうか。


5月31日(金)


 最近の私が良く遊んでいるのが、むやみな形容詞・修飾語。まったく意味がないのだが、そこはかとなく人心を惑わすような言葉遣い。思わせぶりにして、蟲惑的な言の葉を探して止まない。TryGet



 この間、私が会社に到着するなり外線電話が鳴った。出てみると職場の人が家から掛けてきたもの。なんでも体調が悪いため、本日はお休みということを連絡してきたものであった。電話を切り、しばらくすると上司登場。「今日、××さんはおやすみだそうです」と伝えたところ、「どうした?カゼか?」と聞かれて思わず答えたのが「いえ、ココロのカゼみたいです」。



 相性が合うのか仲良く話をしながら笑みを浮かべている2人を見て、「あの二人はホントに仲が良いんだな」と話し掛けてくる友人がいた。特段の他意はなかったのだが、「ガラスの笑顔がキレイだね」などと何かを勘ぐりたくなるような返答をしてしまう私。ついでに意味不明な悪い笑いを顔の表層に浮かべてしまうところに、人からの誤解を招く要因があると思われる。いや、これが誤解にあたるのかどうかも不明。



 先般、当社社員が誤って経費の振込みを二重に行ってしまうというトラブルがあり、相手の会社と連絡を取ること幾たびか。いつも連絡を行う相手ではないので、電話の取次ぎをしてくれた職場の人が不思議に思って何の連絡をしているのかを聞いてきた。「えっ?夏の夜の線香花火のような儚く・それでいて熱く激しい金銭絡みの関係」と答えた私に向けられた周囲の冷たい視線。電話をしていた相手が女性であったのが災いしたかと省みてみたものの、よく考えれば災いしているのはこのクチ。







ピラミッド造っちゃうよりもヒドいような気がしてきました。




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