なんというか、夏休み取得(〜来週木曜日まで)。いま時点でまったく予定を立てていませんので、適当にフラフラと飲んだくれるものと思われます。ちなみに本日は既にワイン1本空けております。しかも夕飯と呼べるようなものはいただいておらず、ただ豆腐に刻みねぎととんぶりとおろしショウがをのせたものとフグの一夜干しをツマミとしていました。
車を運転する時には、出来る限り停止状態に陥らないようにする癖がある。前方に見える信号が赤だったりすると、それが遙か前方のものであったとしても、アクセルから足を外す。ただ、そこでブレーキを踏んで後続車にブレーキランプを見られるのも恥ずかしい(?)ので、エンジンブレーキ使用。また青信号でも、歩道側の信号が点滅している場合には、すぐに黄色に変色するので要注意!
目の前の信号が赤の場合には、それが今まさに生まれたての赤信号であるのか、既に代替わりの兆しを見せ始めている赤信号であるのかを見極める必要がある。自分の進行方向に対して90度の角度にある現在の青信号路線側の信号をチラ見する。ここが黄色となれば、自車の速度と交差点までの距離により減速せずとも通過できる可能性が出てくる(距離÷速度=時間)。
また例え青信号路線側の車線信号が青であり続けたとしても、先ほどと同様に歩道側が点滅していればそこにはパンドラの箱の底に引きこもっていた希望が顔を見せる。かなり手前であってもエンジンブレーキで速度を落とせば、停止状態だけは避けることが出来る。歩みの遅い老人が歩道を渡り終えようとしているケースでは、直に信号が変わるとも推論されるが、その精度の程は確かではない。
その他にも同一カテゴリーに括りがたい複数人が歩道を横断しているのは信号が変わった直後であるとか、周囲の歩道で早歩きしている歩行者がいる場合には信号が変わる予兆だなどといった民間信仰もあるが、その精度はかなり低い。また、同じ減速するにしても50m手前で徐行状態に陥るのと、100m手前から40Km/hとなるのとでは後者が推奨されるなど、細かな基準は種々存在する。
なにを勘違いしたのか、突然パイナップルジャムを作ってみました。甘いものは好きなくせに甘すぎるのは苦手なので、グラニュー糖は控えめに(計画はご利用的に?)。つか、ジャムって果肉と砂糖とレモン果汁だけから成っているのですね。先ほど完成して、試食したらそれなりの味だったので満足していたのですが、気づいてしまいました。
別に今に始まったことではないが、昔あった名曲がアレンジされて再び世に出るということがある。オリジナル曲の記憶がない場合を除いて、こういったアレンジ曲には少なからず違和感を感じてしまう。アレンジ曲の定義は知らないが、大まかに言ってしまえば曲調がスローになるか、ハードになるかといったところではないか。
イントロ部分まではまったく別の曲のようでカッコ良かったりするのだが、歌い出した瞬間にオリジナル曲の記憶がまざまざと甦り、なにかオリジナル曲が不当に貶められているような、曲調とメロディの不整合性を感じてしまうのだ。トマトとじゃがいもを接木してしまったような、覆せないほどの落ち着きの悪さ。まるでキメラ。これは優劣比較の問題ではなく、記憶との不整合性ではないかと思う。
そもそもアレンジといった時に、使いたいフレーズだけを持ってくることとして、その他の部分はメロディも歌詞も換えてはいかんのだろうか?一部を生かすとした時に、歌詞と主旋律を生かして、曲調を変えるといった横での切り方もあれば、特定のフレーズを生かすといった縦での切り方もある。これなら過去の記憶というしがらみから離脱することが出来そうな・・。
ゆえあって、オープンカーを運転する機会がありました。真っ黄色(≠末期色)の派手な車だったのでやや恥ずかしかったのは否めませんが、やはり気分は爽快ですね。ふと上を見上げればそこに広がる景色が新鮮でした。引きこもりの人間が乗るオープンカーというのも皮肉で面白いものです。
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