2008年10月分バックナンバー





なんでアイツ、




10月5日(日)

 この間、長寿要求について思いを馳せてみた。2007年の簡易生命表を見ると、男性の平均寿命は79.19歳。もっとも、65歳男性の平均余命は18.56年ということなので、65歳まで生き延びれば(65歳までの死亡リスクをかいくぐれれば)83歳まで生き延びれそうだということらしい。健康面、経済面、人間関係などの様々なファクターが許せば、出来る限り長生きしたいというのは万人に共通の要求ではなかろうかと思う。水銀や人魚の肉を口にしないのは、近代以降の理性の賜物と手放しでは喜べないのではないか。


 栄養面に気をつけ、必要な運動を行い、煙草や酒を適度に抑え、ストレスを遠ざける。いずれも有効な手段なのであろうが、残念なことにその結果が判然としない。ジョギングを始めたことで、どれだけ余分に生きることができるのか?これが分からないがゆえに、なかなか長続きしないのだろうと思う。いかに嫌いなセロリであっても、食べた瞬間に寿命が30分伸びたと分かれば、食べる人も増えるのではなかろうか。まぁ、デジタル思考の最たるものですがね。


 長寿要求とはなんだろう?死(の瞬間)が怖いので出来る限り死亡時期を将来に繰り延べたいということだろうか?もしくは世を楽しみ謳歌するための時間をより多く欲しいということだろうか。私の場合は現在の年齢のせいもあるだろうが、後者の意識が強い。前者は消極的長寿要求、後者は積極的長寿要求といえるだろう。


 ここで積極的長寿要求に目を向けた際に、極めて矛盾する事態ではあるが、必ずしも長寿を望んでいるわけではないように思われる。人生80年とは言うものの、丸々80年間が意識下にあるわけではない。平均的な睡眠時間は6〜9時間といったところだが、この3時間は恐ろしく大きい。肉体を形成する15歳までの睡眠時間は同一として、80歳までの65年間で毎日3時間余分に活動できたとすると、7万時間強。これは9時間睡眠の人の13年間分の活動時間に相当する。快眠感と健康が確保される限りにおいては、できる限り睡眠時間を短縮したい。


 このような傾向を強めていけば、録画画像の倍速再生などにも話は広がる。もしかすると、テレパシーが真の効能を発揮できるのは単に情報を伝えるというところにあるのではなく、発声による会話に比して情報伝送効率が高いという点にあるのではなかろうか。逆に10文字の情報を伝えるのに、30分かかってしまうテレパシーは価値が極めて低い。いわば会話のブロードバンド化。黒柳徹子さんの時代の幕開けである。







ロズウェルってあだ名なの?



トップ アイコン
トップ