3月分バックナンバー


バファリンの半分はやさしさ、残りは無水カフェイン。


3月3日(水)

  気づけば今日はひな祭りです。関東在住でない方にはあまり知られていないようですが、青山周辺はもともと人形町として知られる町並みであり、この時期になると表参道の並木通りにお雛様が見事なまでにディスプレーされ、さらには夜になるとそこら中につけたぼんぼりが灯って幻想的なライトアップをなしてます(←ウソ)。


  うちは男兄弟しかいなかったので、あんまり飾ったことなかったですね、ひな祭り。なんか男兄弟って字を改めて見つめると、いかにも田舎の粗野にして荒くれ者の2人組みという気がしますが、うちの場合はどちらかというと「bros」といった空気が漂っていたものでした。関係ないですけど、マリオとルイージの関係って?所属事務所つながり?


  うちの親戚さんで英国にて暮らしていた人がいるのですが、なんだかずーっと雛飾りを出しっぱなしにしてたような話を聞いたことがあります。向こうの家というのが変に広いし、しかも周辺の家はみんな人形だの皿だのを死ぬほど飾っているので、なにか飾らないとみすぼらしく見えてしまうらしいです。


  一回見せてもらった写真は、雛飾りも写っていれば兜も写っていて、しかも家にあると思われる皿が散乱しているようにしか見えないという、とてもエキゾチックなモノでした。間違った日本人像そのままという感じです。どうせなら床の間だけを突然造って、日本刀を置き、脇には菊とかをお供えしとけば良いのに。梅干でも良いけど。欄干はだめよん。


  以前朝のラッシュ時に駅のホームにて外人さんたち数人がいかにも報道番組撮ってますという感じで、ラッシュの人ごみにカメラを向けていました。おそらく、家は小さく生活インフラは低い、でも働きまくりという映像を撮りたいのだろうと判断した私は、わざとカメラの前を胃を押さえながら苦悶の表情で通りすぎたものです。


  まっすぐに改札口のある階段の方向だけを見つめながら、それでいて五感(+1?)はカメラをびんびんに意識しつつ。このキレイなアタシを撮ってーです。話しかけてきたのにはびっくりしましたが、そこはクールに「仕事がありますので」で切り替えしてきました。どっかの国では、私デビューしちゃってるかもしれません。


ひな祭り?なんの話?



3月6日(土)

  本日は朝っぱらから歯医者に行ってきました。デンタル界の敗者。デジタル界の勝者。金剛界と胎臓界などと、世の中にはいろんな物事を表す言葉があるものです。言葉がなければその事物が存在しないというのは、言語学の範囲であり、いまは歯医者の話なので、省略です。うん、うん。


  去年の11月くらいにあまりにも歯が痛くなって、歯医者に駆け込んだのですが、なかなか治療が進まないもので。しかも毎回のようにちょっとした詰めものを取ってはクスリを塗って、またちょっとした詰めものをするという、年末の道路工事方式(に素人目には見える)。4回くらいは通ってたんだけど、そこでドロップアウト


  僕は人生というレールを外れて、夜の街へと降り立つことになったのでした。そこは寒く、冷たく、時には痛みを伴い、だんだんに自分が磨り減っていくという、やはり未完了な治療がもたらす世界。しかしいったん抜け忍をした人間を待つは、地獄であるのはタイガーマスクデビルマンで確認ズミ。


  ただやはり痛みには勝つことが出来ず、第二次修正計画発動。骨子は歯医者に赴き、治療を依頼するという2点で構成されたものである。この計画にはかなりの痛みを伴うものと予想されるが、しかし人類として避けることの出来ない選択でもある。つらく厳しい決断であるが、私には他の歯にまで虫歯菌をうつさせるわけにはいかないのだ。


  結局再開された治療は2回で終了したのですが、さすがに前回ドロップアウトしたとは言えずに「歯に穴が空いてしまったので」と言って治療を依頼してしまいました。人間のどろどろとした嫌な一面です。昔の筆入れは、6面とかってありましたけど、いまはどこに行ってしまったのでしょう?


  今日はその最終回ということで新たに私の歯としてウィーリー(←私が命名)が加わったのですが、治療途中に看護婦さんが悲鳴にも似た声をあげてました。「先生、こんなところにも歯があります!」。うーん、第一次修正計画の中で既に新たな歯は作られていたのですね。あと1回だけ我慢してくれば、終了してたのか。


  看護婦さんに怒られるかなとドキドキしながらも、その混乱を母親のような温かい目で見守っていました。けっきょく事態は歯医者の「まあ、新しいやつを入れておきなさい」という鶴の一声で、収束を迎えました。せっかく作ったんだから、もらっておけば良かったかな。レプリカとして。


  という事情を踏まえた上で、新たな私の仲間はウィーリーUと命名しなおし。仲良くやっていこうね、my tooth。



3月7日(日)

  そもそも自閉症気味なんじゃないかと言われ久しい私ですが、私の趣味と言えば読書と本を読むことと車を洗うことと靴を磨くことです。木の絵を描かせると実も葉もない絵を描きますし、空は真っ黒で脇でむやみに人が倒れてたりします。箱庭を作らせると、家が川に流されてたりします。


でも自閉症じゃありません


  ちなみに根も葉もないようなことを書くのは、まったくの虚言癖です。ぜんぜん問題ありません。たまーに、誰とも逢いたくなくなって電話がなってもそのまま、インターホンがなってもベッドに入ったまま出ようともしないこともありますが、気分屋であるか悪くとも軽い躁鬱でしかないので、自閉症じゃありません。


  ひとり暮しをはじめる前はよく熱帯魚と話していたりもしましたが、関係ありません。出来ることならイルカと遊びたいなんて思うこともありますが、それも無関係です。ちなみに蘇我氏ではありませんので、お間違えのないように。言うまでもないことですが、爆弾を背負わせるなんてもっての他です。人間魚雷「回天」もダメ。


  あれもダメこれもダメじゃなにも出来なくなっちゃうよって、わがままばっかり言うんじゃありません。我が家ではよく「よそはよそ、うちはうち」と言って怒られたものですが、みなさんいかがでしょう。我が家の怒られ文句頻度No.2は「だってじゃありません」というものもありました。いずれもいまだに得心のいかない文句です。


  言ってることがまとまらなければ、書いてることすらまとまらないのも単純な分裂症であって、自閉症とはいっさい関係ありません。でも大丈夫。自分の中ではしっかりと話がつながっているので、安心してください。ジェットコースターのように展開する文章、たまに外れる「轍」。私が好きな「酢橘」。昔の知り合い「徹」。


単なる駄洒落ヤロウ?



3月10日(水)

  こういうサイトを開いていることからも頷いていただけるのかもしれないが、とりあえず趣味ってなに?と聞かれたときには読書とパソコンと答えることにしています。もちろん先日書いたみたいに靴を磨いたりっていうのも大きな柱のひとつとして人柱ではあるのですが、あまり初対面では言うことは少ないのです。で、知り合ってしばらくしてからその人に趣味はなんだ?などとは聞かれないようにこの世界は構成されているのです。


  ところが一般的にはこの趣味は珍しいそうで(と、会社の人間に言われた)、特に自動車とスポーツに興味がないのは、どういうことなんだと追い詰め、いや問い詰められた経験があります。すいません、どちらにもまったく興味がありません。私は現在マーチに乗っているのですが、マーチは2ドアなのでクーペだと思っていました。


  排気量なんて1,500CCとか聞かされても、「ふーん、ペットボトル1本分なんだぁ」と思うだけで、特に感慨が湧くものではありません。うちなんて1,000CCなので、CCレモン換算でおよそレモン150個分のビタミンCです。いや正確に言うと約150個分のバイタミンCです、って正確のフォーカスずれ。


  50CCの原付なんて、ヤクルト相当じゃんとか思うんですけど、本当にそうなんでしょうか?分からないついでに言ってしまうと馬力というのもよく分かりません。なんだか本日会社の人たちが騒いでいた車は、280馬力だと言ってました。あまりよくは知らないですけど,義経の軍勢とどっちが多いのでしょう?まあ、一騎当千の4分の1です。


  でも改造とかをしちゃうともっと馬力は出るそうです。ちなみにここで言っている馬というのは,どういう基準の馬なんでしょう?おおよその馬たるものの標準値はあるのかもしれませんが、少なくともポニーと北海道とかのばんば(≒ラオウが乗ってたヤツ)ではだいぶ違いがでるんじゃないでしょうか?


  ちなみにその車は2,000CCだそうで、割り算をするとおよそ馬というのは7CC相当ということになります。大さじいっぱい強ということになりますが、本当なのでしょうか?いまいち自分で行った計算ながらも,信用性に欠けるというか、人の心に訴えかけない数字であります。ちなみにCCレモン換算で、レモン1つ分のビタミンCです。



3月11日(木)

  昨日書いた文章を考え直してみたら、スポーツについてはなにも触れていなかったので、本日はスポーツに関する私の知識についても語り明かしてみましょう。ああ、飽きないで。あかん。


  スポーツの知識については、自動車の比ではありません。昨年あんなに騒いでいたワールドカップも、1回も見てません。というか、その当時テレビを持ってませんでした。電車の中吊りで初めて見た中田さんの顔は、本当に申し訳ないのですが新しいオウム犯だと思ってました。


  ちなみに他に知っているサッカー選手は、モネールです。彼は一度車で轢きそうになってしまったので知っています。ただしポジション等は、一切預かり知るところではありません。でもどんなにサッカーの熱狂的なファンであっても、彼が轢かれそうになった時にどういう顔を見せるのかまでは知らないはずです。その点では僕の方が詳しいでしょう。


  こういうことは別にサッカーに限ったことではなく、およそ生まれてから4半世紀(≠4世紀半)が経過したのですが、いまだにスポーツ番組を最初から最後まで通して見たことがありません。高校野球で活躍した人物なんて、一人も知らないです。たぶん聞かれたらジャイアント馬場などと、合っているのか間違っているのかもよく分からないことを答えるものと推測されます。


  相撲とかなんて、下手したら貴花田とか言っちゃいかねない勢いです。相撲を連続して5分以上見たことないです。かつ自発的に見たこともないですね。日本の国技であるので誠に非国民の極みではあると思いますが、もしかしたら生まれてから相撲を見ている時間よりもモンゴル相撲を見ている時間のほうが長いかもしれません。


関係ないですけど、東海大相模東海大相撲ってけっこう似てません?


  さらに言うと、趣味の人には申し訳ないですけどマラソンってなにを見てるんですか?抜き去るときだけを見たいのであれば、ニュースで見たほうが良いと思うのですが・・。あれで全てではないのですか?同様のことは、相撲にも言えます。何試合あるのか知りませんが、テレビの画面を4つに分割して同時に4試合行えば生中継でもあっという間に終わるんじゃないですか?名づけて長篠方式。



3月13日(土)

  最近思うのですが、携帯電話の着信音を自分で入力したりしてオリジナリティを出しちゃおうという計画が着実に浸透してますよね。あれって、やっぱりMIDIファイルの音色なし版みたいなものですよね。いやBEEP音の音程あり版なのかな?まあなんにせよ、あんなのでは独自性を出そうにも制限がアリアリじゃないですか。


そこで消費者代表としてこの庶民派の私が声を大にして申し上げたい。


  「地域振興券は働いている人間にも欲しい」。でなくて、「WAVEファイルみたいなのを使えるようにしてくれませんかね?」。つまりは録音機能。もちろんデフォルトでも入っているし、ドコモなど各社からダウンロードすることも可能、さらに自分で録音することも可能というヤツ。これってけっこう面白いと思うんですけど。


  個人的に私はどうもあの携帯電話のいかにもという電子音が好きになれない。着メロという発想は良いのだが、あまりにも音が貧弱過ぎる。貧弱すぎて、せっかくの独創性あふれる着メロのインパクトが最近では既に失せかけている。マルセル・プルーストじゃあるまいに、これはイカン。


  WAVEファイルが使えるようになれば、まずやってみたいのは昔のジリジリと鳴る黒電話とかの音。あれはけっこう面白いんじゃないかと思う。人前で鳴らしてみたくなる音のひとつではないだろうか?あとはミサイルの音とかも面白いかもしれない。「ひゅーーーー、ドッカーン」って感じかな。


  マニアックなところでは赤ん坊の泣き声であったりとか、断末魔の叫び声なんていうのもあるかもしれません。一般的には自分の飼っている猫の鳴き声であったりとか、子供の声だったりするのかもしれません。あんまり普通の話は強くないので、この辺で切り上げますが皆さん自分で考えてみてください。


  他にもMIDIファイルみたいにして、ハープだのなんだのといろんな音色もありで すね。鈴だのタンバリンだのも面白いかもしれません。中国の銅鑼も良いですねぇ。 うん。 ベースだけはなしか。でも音色を増やしまくって、オーケストラバージョンなんてのもカッコいいと思います。


  などと可能性は色々と広がっていくと思うのですが、電話会社の方どなたかこれを見てたらどうです?私の壊れた携帯の代替品で、アイディアをお譲りいたしますが・・。なにしろ故障してしまって、掛けられるし話しかけることは出来るのですが、相手の声が聞こえない状態に陥っておりまして。



3月17日(水)

  パソコン関連のデザイン性について。iMacおよびVAIOの登場によって、デザインの優れたパソコンがようやっと脚光を浴びてきたように思うのですが、なんで今までそこを追及しなかったのかが不思議でしょうがありません。パソコンなんてWin95が出て以来、三重で、いや見栄で買う人の数も人知れずなのでデザイン重視という路線もありのはずです。


  しかしまだまだです。所詮は前出の二つくらいしかカッコ良いと思われる筐体は見たことありません。ThinkPadの600シリーズみたいな芸術的なもの(材質?)もありますが、それはまたちょっと違ったりしますし。あげくiMacに続けというのは分かるのですが、同じくターコイズブルーでの周辺機器なんて本体持ってないヤツにとってはかえって要りません


  私のマシンは自作機なのですが、作成以前にこの点について大きく悩みました。若きウェテルみたいなものです。関係ないですけど、「ツァラトゥストラかく語り」は最近では「ツァラトゥストラはこう言った」に変わってきているようです。これぞまさに翻訳マジックです。読んで欲しくないんじゃないかと邪推したくなります。


  話を戻して私の出した答えは、塗装。筐体を購入するときに色は一切見ずに単純な形などのデザインだけを見て購入しました。全体を1色で塗ると間が抜ける可能性大とも思われたので、筐体の正面部分がプラスチックの2枚作りとなっているものを選び、基本色の中に一本ラインが入れることにしました(名づけてアシックス方式)。


  塗装の仕方は色々あると思うのですが、私のやり方は車の塗装と同じです。カー用品店に行って、プラサフなる下地塗料、通常の塗料、つや出し剤、コンパウンド、耐水ペーパーを買って来ればあとは丹念に塗るだけです。コツはと言えばもう良いよと思えるまでに何度も塗りなおすことです。私は能登の漆器職人もかくやはと思うほどに塗りました。


  基本色はシルバーにして、電源スイッチだのラインとして一本入っている部分は濃い紺色に。マウスも紺色に染めてみました。
丁寧にやった甲斐もあって、自分で塗ったとはとても思えない良い出来に仕上がりました。作ったのはおよそ2年前ですが、ふと考えるとこれってVAIO色だな。やられたっ。



3月18日(木)

  色塗り作業の続きのお話ですが。カー用品店に行ってびっくりしたのは、その塗料の種類の多さ。なんだか車メーカーごとに、さらにその中でも車種ごとに色が分かれているみたいで、単純にグリーンの塗料といっても砒素中毒になるくらいの種類があったりします。この中から自分の好みに合った色をチョイスしなくてはなりません。


  私には色のセンスがないので、無難なところを使っての配色とすることにしました。センスと気合さえ私に備わっていれば、黄色だの赤だのを使って面白い色に出来るのですが、まず間違いなく私の能力の問題上失敗することが分かっているので、逃げに走りました。熟語にして逃走です。


  色は紺と銀にしたという話しは昨日書きましたが、正確に言うとフェラーリの紺カローラの銀です。別に車種がどうのこうのというのはないのですが、なんとなく変な感じはします。それこそキメラであり、自動車業界の成熟度合いを感じながらも、完全に勘違いだったりします。あー、残念。


  実際の作業は気を焦らせずに丹念に塗っては、それを耐水ペーパーで削っての繰り返し。私の場合初めてという事もあってなかなかうまくいかず、けっきょく二桁回数くらいの塗り・削りを行いました。ちなみにミニタワーですが、塗装したのはケース外壁とふたの部分であって、CD―ROMなどのベイ部分には塗りませんでした。


  私は貸し部屋暮らしなので、部屋にこもって延々と塗装を続けていたら、思わずマンションにて異臭騒ぎが起きたりと色々ありますので、みなさん周囲の状況には十分に気をつけましょう。知らぬ間にやたらと懐かしい香りを感じてしまったりなんかしたら、けっこう要注意です。反省しましょう。


  でもここまで手を掛けたマシンは、かなりお気に入り度が増すはずです。これであなたもメーカーマシンが買えなくなったか?



3月20日(土)

  実はわたくし美食クラブの一員を担っている、いわゆるところの文化人であったりします。もちろんテレビに出演することがあるとすれば、その際の肩書きは「デリシャス☆イーター」にしようと思います。真中の星印には確かにあまり意味がありません。だがしかし、実用性だけを求めるのではなく、無駄な豊かさ追求の中に文化は芽生えやすいのではないでしょうか?


  まったく関係ありませんが、私はアスタリスクという言葉を初めに知ったのは英単語としてなのですが、そのときの訳語が「星印」でした。いわゆる「*」ですね。ところが同じ単語集のひとつ上には「占星術」なる言葉が載っていたために、ずっとアスタリスクとは星回りを示す牡牛座とか12星座のマークだとイメージしていました。


  そんな文化人なので(←つながらねーな)思い立ったらどこにでも足を運んでしまいます。以前におなかが空いて魚のおいしいのが食べたいという話が出た瞬間に、新潟へと車がひた走っていたことがあります。行くのに4時間以上かかっていましたが、信じられないくらいに美味しかったです。


  しかして今回のターゲットは、アンコウ。冬の味覚です。いまだに1回も食したことがなかったので、これは良い機会だということで行ってきました茨城県。細かく言えばの那珂湊。別に那珂湊をちゃんと知っていたわけではなく、適当に車を走らせていたらやたらと賑わっているところがあったので行ってみたら那珂湊だっただけなのですが。


  ここには魚介類の市場があり、またそれらを食べさせてくれるお店がいくつかあります。ただし食べさせてくれるといっても、重福祉政策の一環でもなんでもないので、ちゃんと代金および消費税相当額は持っていきましょう。また「あーん」などと甘え気味に口を開けたところで、間が抜けて見えるだけなのでやめましょう。たんに日本語の言いまわしの問題です。


  結果としては、私はアンコウ鍋も美味しかったけど、アンキモが一番美味しかったです。アンコウそのものは非常にあっさりしている味なので鍋のお汁の味が美味しいんじゃないかというそこはかとない疑問を感じましたが、アンキモはちょっと病みつき。でもあれは鮮度が大切そうな気もしますね。


茨城へみなさんGO!



3月21日(日)

  なぜかワタシ今ごろになってドラクエ4にはまっています。そりゃあもう、あつらえたみたいにすっぽりと。吊るしじゃないですね。ready made と made to order 。確かこんな差があったような気もしましたが、あんまりよく覚えてません。飼葉桶の中の犬と同じくらいに嫌なことです。


  ところがこのドラクエ4、途中で行き詰まってしまって半月ばかり沙汰止みになっていたのでした。やはり既にあの子供のころのような熱く迸る無駄な情熱に欠けるところがあるのでしょう。どっからどう見まわしても、敢えて俯瞰してみても良いことのような気もしますが、そこはそれ若干寂しくも感じます。


  しかし止めたんなら止めたで諦めりゃあ良いものを、どうにもこうにも諦めの悪い人間というのはいるもので、半月間ずーっと心のうちをモヤモヤさせながら会社生活に融けこんだふり(結論的には融合不能)をしていたのがこのワタシです。それはもう世を忍ぶ仮の姿と言ってもらっても、全面的に構いません。あまり偲んではいませんので、あしからず。


  そんなことで、昨日3連休にも入ったことだしということで、ドラクエ4の攻略本を手に入れるべくそのまま本屋に駆け込んでみました。結果は惨敗。確かに考えてみればドラクエ3が出たのは、既に10年くらい前のこと。4がいつ出たのかは定かではありませんが、いずれにしてもとんでもなく昔のゲームなのです。


  しかしそこは諦めの悪いワタシのこと。あちこちを探し、ついには古本屋を探して入手してきました。もはやこれだけでも実写版の冒険システムになっているという話しもあります。そこまで気合入っているんだったら、謎も解けるんじゃないかという気もしますが、そこには既に情熱が欠けているのです。不思議なものです。


  けっきょく攻略本の地図を頼りに、今さっきエンディングを迎えました。こんなに古いゲームなのに、古さを感じないというのは、月並みな言い方ですがちはやぶるゲームです(←言うまでもなく一般的でない)。ドラクエがいくつまで続いたのか、はたまた現在でも進行中なのかどうかは知りませんが、やったことのない人はぜひ1回プレイしてみてはいかがでしょう?


って、プラットがないか?



3月22日(月)

  一人暮らしをはじめて身に沁みる変化のひとつに食生活があります。間違えて「しょくいきいき」などと読まないようにしてください。やはりこの食生活の悪化はやむをえない事情を持っていると言っても過言には当たらないと思われる状況にあるのです(←だぁー)。原理的に不可能な一面を内含していると言っても良いのでしょうか。そこに立ち向かうのはドンキホーテ的な深夜営業です。


  古よりイニシエーションなアンダーグラウンドでもある問題ですが(?)、野菜を買ってもどうしても量的に腐らせてしまうという問題があります。最近ではジャガイモひとつ売りみたいなのもあるようですが、いかんせん私の最寄駅周辺のスーパーになければお話になりません。世間一般の話ではなく、人は個別具体的に生活をしているものです。


  次に来るのが、ワンルームの哀しさとして、ガスレンジではなく蚊取り線香みたいな加熱器があるのみ、しかもひとつしかないというインフラ事情の悪さです。もともとむちゃむちゃに狭いキッチン(というかむしろ廊下)なのに、ひとつしかないとどうにもなりません。同時平行的に調理が進められないことと、既に作業の済んだ鍋についても置くところがないです。


  私はというと、隣りにある洗濯機の上によく物を載せていたりしますが、見た目は既に惨状と言っていただいても特段の問題はありません。それ以前に洗濯機の上に乗せっぱなしで、料理が一品減ってしまったりという事態も想定されます。これはもうODA(MUDO?)とかの対象になるんじゃないかと密かに思うのですが、どうにもこうにも申請書類をどこに上げるべきなのかが分かりません。


  さらに言うと、ガスコンロでも購入すれば良いのでしょうが、それがない我が家の結果として、廊下で食事をすることがあります。鍋だの焼肉だのといった目の前加工系の品々に関しては、これはもう廊下にて調理・摂取しか道はありません。こんなときに新聞の集金の人が来たりなんかした日には、イメージ的にはリビングまで押し入られた気分でしょう。向こうも申し訳なさそうな顔になります。


  これが廊下が相当程度広くて、「回廊」としての呼び名をほしいままに出来るような状況であればまた印象が変わってくるのでしょうが、当然にワンルームであるがゆえに廊下であり、風向きと星回り次第(?)によっては通路にまで格下げされてしまうほどです。グランドクロスになんて構ってられないくらいのインパクトです。


  ここまで来ると、なんだか人知れず文化的な生活を送っていないという憲法違反を犯しているんじゃないかとビクビクしてしまいます。違憲野郎のレッテルを貼られて、どっかの収容所で一生堅い大地を耕して終わりそうな気になります。誰かが気づいてあとを辿ろうにも僕の周りの人はみんな口を封じられていたりしそうです。戸籍なんてもともとなかったことにされそうです。話した人は、翌日の朝にはマンションから突き落とされてたりするのです。


  という訳で、なにもこんなにしてまでと言うことで、人は調理を放棄してしまうのです。それとともに鍋のそこにひっそりと入っていたとされる、希望というひとひらの夢までをも。これがプロメテウスからの贈り物であるとするのであれば、私は一刻も早く広い家に住みたいと願ってやまないのです。



3月25日(木)

  昨日はしんどくて21時半とかには就寝してしまったのですが、就寝が終身にならなくて良かったです。ひねもす寝ているのは問題ですが、夜もすがら寝ているのはこれといって問題ではないはずです。敢えて問題を指摘するのであれば、「夜もすがら寝る」なんていう言いまわしは一般的に使わないんじゃないかというだけで。


  起きてみれば6時半で、会社に行くまで1時間半もあるのでこうやってパソコンに向かっていたりします。最近はこうやってちゃんとした生活を送っている(?)のですが、昨年とかはボロボロでした。会社づとめをしていたのは変わらないのですが、なんか起床時間が5時とか4時半とかだったりなんかして・・。


  真っ暗のなか起き出してきて、することがなくて近くを散歩したりしちゃったり。ハトにエサをやる寸前だったことをいまここに告白するとともに、免罪符。ちなみにコックリさんをすることを「こくる」にしようとする運動展開中。なんだったら黒死病に罹病することであっても良いし、告訴しちゃうことだって良いと思う。「セクハラでこくっちゃう」なんて言うのはおしゃれかもしれない。


  5時に起きるということは当然に前日もそれ相応の時間に寝ていたわけで、当時10時半には既に寝ていたという事実があったりします。友人くんから11時くらいに電話があると、それはもう不機嫌そのものだったわけです。だってもう思いっきり non-REM( rapid eye movement ) 睡眠驀進中なわけで。


  でも昔からこんなに規則正しい生活をしていたのかと言われるとこれがぜんぜんそんなことがありません。学生時代なんてむちゃむちゃな生活を営んでました。いいともを見終わるとお風呂に入って寝るという、おまえんちはテレビ事情がおかしいんじゃないかというような行動に出てました。当時横浜に住んでいたので、やはりいいともはお昼の12時スタートです。


  19時から家庭教師のバイトなんて言われても、ほとんど普通の人にとっての朝7時から家庭教師というのと同じようなものです。ヨルイチかよーなんていう訳の分からん愚痴をこぼしていたあのころが激しく遠くに感じられます。しかしいかに大学生が時間を持て余しているといっても、こんな生活が許されるのは長期休暇に限られています。長期休暇終了に伴う、矯正が苦しいのなんのって。


  いっかい35時間くらい寝ずにいて、しかも本当の意味で体を疲れさせるために夕方になって泳ぎに行ったのですが、あまりにもしんどくて10メーター泳いだ時点で溺れそうになって、帰ってきてしまいました。監視員の人に危うく救われるところでしたって、どっちの危なさ?


  ここまでやって寝たのは良いけど、3時間したら起きてしまった自分にドロップキックしてあげたくなったあの気持ちは今でもつい昨日のことのように思い出せます。はー、良い想い出。



3月29日(月)

  先週の土曜日にひさびさに実家に戻りました。といっても正月に戻って以来なので、4ヶ月ぶりくらいですが、実家まで車が空いていれば1時間という半端な距離が、私の足を思わず知らず遠のかせます。まあ極端に遠ければ別でしょうが、いつでも戻れる状態にあるとなかなか戻らないものです。もっとも歩いて5分でも戻らないものは、戻らないのかもしれませんが。


  帰るなり本棚をどうにかせいと言われて片付け始めたのですが、これがまたどうしてなかなか難しい。そもそも本を片付けるといっても本棚には既に整理・収納されているのであって、その本棚があふれているので「捨てろ」と言われているところに問題がある。このかわいい子供たちを、そうやすやすと捨てられるわけがない。


  しかし既に造り付けの本棚にも入りきらず、やむを得ぬ処置として奥と手前の二重構造にすることでどうにか耐えているという状況はいかにも救ってやりたい。仕方がないので幼児期に購入した本を中心に断腸の思いで、腸ねん転。大きな紙袋に2冊ほどをチョイスし、そのまま古本屋に持っていった。


  すずめの涙ばかりの猫の額で、思わずこけしでも購入しようかと思ったが、なんだか怖い話にもなりかねないので止めておいた。花一匁で買われて行ったのでは、安いのだか高いだかがよく分からない。篭目、篭目のデルモンテ


  家に戻ってきてからもいつ捨てられるか分からないので、とりあえずこのサイトのためもあって表題などをメモし始めたが、これがまた面倒。直接にパソコンにインプットできれば良いのだが、残念ながら弟さんのパソコンしかない。もちろんのデスクトップ。これではハードに動きながらのアクティブなメモが出来ない。


  仕方がないのでけっきょく紙ベースのアナログメモ。会社の人でパソコンの表計算ソフトを目の前にして、そろばんを脇に置いている人がいたが、そこまでのディープインパクトはなかった。あれはいくらなんでもひどすぎると思う。本人の言では確かめ算とのことであった。これまたまったくの余談であるが、私は計算間違いをする計算機を持っている。


  そのメモの結果が最近のデータベースの充実につながっている。ということは、今後は遅々とした歩みを見せるのでしょう。しかし着実に増えるぞ。油を断つべからず。



3月30日(火)

  今日は思いきってを語ってみようかと思う。この地球という宇宙船に託された未来の少年・少女たちにかけられた夢という名の希望という形のきわめて漠たる様相を呈した現実世界からの回避手段を赤裸々に著してみようと思う。これが如実であり、教科書通りの真如だぜというヤツを全壊バキバキにしてみる所存である。


  とは思ってみたものの、現在の私はと言えばツルゲーネフの「父と子」を読み耽るニヒリストである。したがって全ての価値を否定する立場を保持してやまない以上、将来の夢は語れなかったりする。しかし深層心理の発露たる睡眠状態における夢は、いくら現実を否定してみたところで見てしまう。意識と無意識はたまに乖離するのだ。


  本日の朝見た夢は自分でも面白かったのだが、この私がモテまくる夢である。私が道をテクテクと歩けば、うしろには女の子達がゾロゾロとついてくる。みんなが私の一挙手一投足に興味を持っているのだ。同じ道を歩くというだけではなく、私が踏んだ大地を誰もが辿って歩いている。雪の日の殺人事件にはもってこいの環境だ。


  私が自動販売機でジュースを買えば、まわりの女の子達がキャーと叫ぶ。プルタブを空けてもキャー。飲み干したといってはキャー。空き缶を捨てるためのゴミ箱を探して辺りをきょろきょろとするだけで、失神する女の子達。私の買った自動販売機を持って帰ろうとする、武闘派の女の子もいる。


  目が覚めた時には刹那的にはとてもハッピーな気分だったのだが、あまりの下らなさにがっくりと肩を落してしまった。以前の私は児童販売機の夢くらいは見るものの、こんなに無意味な夢を見ていただろうか?発想が貧困というか、情けないというか。まあここまで限度を超えた下らなさを安定して進んでいれば、それはそれで面白いんですけどね。


いったいぜんたい心理学者はどういう判断を下すんだろう?自己顕示欲だったら、高笑い。


のどの渇きで60点。


伊勢神宮への渇望で75点。


環境問題と癲癇問題で92点かな。




んなです。



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