1月分バックナンバー



うりゃ。

1月10日(日)

 人生初めてのホームページアップはこの日とあいなる。ホームページ作成ソフトを使っているとはいえ、多少は考え込むところもあった。世の中そんなにうまくは出来ていない。ただしそんなにひどくもない。まあまあだと思う。


 とりあえず作り上げてはみたのだが、なんだか不安がたくさん残っている。絶対におかしいところが1ダースは存在しているものと思われる。根拠としては25年間見つめてきた自分像。アイコンのことをイコンと呼ぶ運動展開中。


 間違ってりゃ直しゃあ良いやということで、とりあえずFTP転送を諮る。違う、図る。なんだかやり方はNEWEBのページ上に書いてあったけど、僕が使っているのはホームページビルダー2000。例示されているのはたぶん前のバージョンのものだと思われる。応用と基本、汎用の問題。


 なんか言われるとおりに何度もやってみたんだけど、どうもうまく行かん。確かに転送は正常に終了しましたメッセージが出てくるんだけど、自分のページを見に行くと見れない。アップしても即時反映しないのかなぁと勝手な予想のもと、昼寝突入


 昼寝から起きてはみたもののやはり反映していない・・・。なんか検閲にでも引っかかったのか?はたまた二時間では昼寝がたりんのか?散々悩んでみましたが、回答は割と単純にして恥ずかしいものでした。このページを見に行くときのurl指定はhttp://www1.neweb.ne.jp/wa/bookland/index.htmになってますが、一生懸命に「・・・bookland」までで止めてました。はちゃー。アッタマわりー。


 ちゃんと指定してやったら立派に公開されていました。こんなにご立派になられてという感じです。ただしやっぱりいくつか問題点を抱えてましたが・・。




1月11日(月)

 朝も早くから起きてみて、問題点の修正。まずは突然にアクセス件数が850件となっていたカウンタの調整。見た瞬間に気づいたのだが、やはり名前をwa_sampleなどとしていた。でも850件にもなっているということは、結構な数の人々が、私と同様の間違いをしでかしたという証左。人間は今後も本当に進化の歴史を作り上げていくのだろうか?


 後はトップページの見た目を少し改善した。そして最大の失敗たるリンク先の名前を思いっきりデフォルトのままにしていたヤツを治した。あれはさすがに自分でもマズいなと思ったものだ。リンク先の名前が「sample3」ではあまり興も湧かない。


 あ、こんな事してないで、会社行かなきゃ。



1月12日(火)

 わが友人さまから早速に本のタイトルがまちがっとるとの指摘を受けた。宮本輝クンの本を「青の時代」としていたのだが、真実は「青が散る」だったようだ。ピカソみたいな間違いをしてしまったが、私はほんとにモノを覚えないということを実感させられた。普段それを実感するのはカラオケに行ったときの、曲の題名である。この知識はほぼ皆無に近い。なので、人が選曲したものを脇から勝手に唄っていることが多い。はっきりと迷惑であると断言できる。


 人間、諦観の中からは見えないものもあれば、諦観の中からだこそ見えるものもあるという、悪質なる持論全開。2時の方向に敵艦隊あり、ダウントリム15度ぉーー、って感じです。全然わかんないですけど。海江田艦長はどこに行ったのでしょう?




1月15日(金)

 まったく関係ないんですけど、一時期髪の毛の色を茶色にするぞ運動が某ロビイスト団体によって展開されていましたよね(ウソ)。私は人と同じ行動をとると死ぬとモノゴコロついたときから虎の穴で教えられたきたもので、茶色は恥ずかしいので白(銀?)髪にしてみたいという希望があったのでした。今でこそそれが可能みたいですけど、僕がやろうとしたら思い切って失敗して、そのまま髪の毛の色が夕焼け色になっていた記憶があります。おかげで黄昏ちゃって大変でした。


 なんでもモノの本を紐解くと、既に茶色ブームは終了して銀色にしたり、真っ黒にしたりする人が増えているらしいのですが、前述のような縛りを受けた私としては悔しい思いに囚われがちなエブリィデイです。まあ、そもそも会社人として風下から北風と太陽なので、ある程度の無理があるんじゃないかという話しもあるんですけどね。


無理は承知だ、金なら返せん。

 そこで皆さんに提案したい、新しい髪の毛の色。無色透明。スケルトン。もちろん無味無臭で。これってできないんスかね?まったくの透過色でなくて良いから(それじゃあ、スキンヘッドだ!)、アクエリアスみたいな色にならんもんでしょうか?>専門職のみなさま。やっぱり銀色くらいが限界なのでしょうか?でも出来るようになるとすれば、オリジナルカラーの問題から金・茶色系の髪の毛の人よりも、黒髪系の人のほうが良い色になりそうな気がする。まさに日本人向け


 どうしても色素を外的に落とすのが難しいようであれば、別に遺伝子とかイジってもらっちゃっても、私としては全然かまわないんですけど、いかがなものでしょう?(って、人生やり直しか)。やはりこの辺りは、いろんな産業界の人たちでプロジェクトチームを組まんとならんのでしょうなぁ。出来れば軍産共同体で・・・。



1月17日(日)

  こういうページを作ってはじめて気づいたのだが、どんどんと更新していくためには、どんどんと本を読まなくてはならない。確かに実家に戻れば、数百冊分のストックは残っているというものの、それはそれとして有限なのである。しかも性質の悪いことに、このページのネタとするべく本をパラパラとめくっていると、次第に興が昂じてきてのめりこんでしまう。私はこの現象を、「引越し時の荷造りジレンマ」と名づけたいと思う。名付け親と言ってもらって、全然かまわない


  囚人が自白するかどうかは知らんが、とりあえずこれだけのデータを並べるのにも結構な時間がかかっていたりする。現時点で書籍数150前後。自分自身、生まれてからどれだけの本に触れてきたのか、まったく想像もつかないが少なくともこの10倍ではすまないような気がする。


  本屋に行ってつくづく思うのは、まだまだ読んだこともない本が大量に棚で待っているということ。どれだけ読んでも読み終わるということはありえないけど、でも少しでも出会いを大切にしたいと思う。小説を読むということは、その中に書かれている登場人物の人生を自分でもバーチャルに歩むということだと思う。


  そして小説を書くということは、自分の人生を不特定多数の存する世界に向けて公開するということに思える。程度の差はあれども、作品の中どこかに著者の分身が見え隠れしてしまうように思う。芸術作品の定義はよく分からないけど、私は作品の批判を行えない。



1月25日(月)

  私の働いている職場には、社員食堂がある。全部で200人くらいは入ろうかというかなりの大きさである。なんだかこんなところで食事をしていると、ブロイラーの鶏を彷彿とさせるが、それは致し方ない。まったく関係ないが、回転寿司って、ちょっと間違うと「自動エサやり機」みたいに見えないだろうか?食べていてたまに心配になる。宇宙人とかが日本を観察しているときに、回転寿司屋の兄ちゃんを主人、客人を従者として学会に報告してないだろうか?


  ちゃんと見てけよ、宇宙人


  話がズレた。うちの社員食堂では各人が好きなものをチョイス(といってもその選択肢は、センター試験のそれよりも少ない)することになっている。本日の定食はとんかつであり、私および一緒に食べている職場の人は、二人してとんかつを食べるべく並んでみた。


  私はサラダを取ってとんかつを取って最後にとんかつに付けるからしのパック(弁当に付いている切手大のパック)を手にした。一緒に並んだその人は、サラダを取ってとんかつに付けるからしが大量に入った入れ物を自分のトレーに乗せた。サラリーマンはやはり疲れきっているのかもしれない。しばらくして、その人が「アカン!」と叫んだ。


  僕は関西人でないので、アカンの意味するところを正確には知らないのであるが、でもほんとにアカンと思う。ちなみにやはりイコンとはまったく異なると思われる。ただし音声学的には、類似点も見られそうだ。



1月30日(土)

  本日朝っぱらから電話が鳴り響いた。なんと、この寒い中我が家のエアコンがブレイクダウン。ようやっとその修理が、本日行われる手はずになっていたのだ。この1週間あまり寒かったこと、寒かったこと。他になにか暖房器具を持っていればたいしたことないのだろうが、ワンルームに住んでいる人間がそんなものを手にしているはずもなく。なんだかまるで火を手にする前の類人猿という様相で・・・。


  朝から直してくれるのはとってもありがたいのですが、ああいう修理の人が来た時って、なんか気まずくありませんか?話しかけたら邪魔になりそうだし、かといって黙りこくっているのもなんか空気の密度が変わってしまいそうだし。今回なんて朝だったから(さらに言うと、うちってワンルームだし)、思わず修理している脇で寝ちゃいそうになりました(←堕落しすぎ)。


  修理に来たおじさんに、「なんかネジがサビついていて取れないので、ここの壁を壊しても良いですか」と聞かれたときには、さすがにどうかと思いました。壊さないで、修理して欲しいんですけどって、ちっちゃい声でつぶやいちゃいました。残念ながら市民の小さな声は、おじさんには届かなかったみたいですけど。


  おかげさまで、暖房は作動するようになったけど、壁には二センチあまりの亀裂が入りました。昔の人は、こういう事態を指して「あぶはち取らず」と戒めました。えらいものです。僕は戒められたというよりも、なんだか懲らしめられたという感が強いですけど。もうちょい大きな穴だったら、そこからボールを投げて一人キャッチボールをするのにと、ちょっとだけ残念です。


人生山有田にあり。



1月31日(日)

  私はまだ会社生活が浅いとはいうものの、そこはやはり風上なるサラリーマンだったりする。社会人と学生は違うなどという話は陳腐すぎるが、でもそこにはある種の真実もあったりするようだ。別に責任がどうこうという話ではない。そんなものはフラフラした学生生活を送ったかどうかの個人的な問題と思われる。


  私が思ったのは、もっと人間の趣味、興味にかかる話である。小学校や中学校であればいろんな人間がいるが、受験が絡み出すと急に身の回りに似たような経歴の持ち主が増えはじめる。そこには肯定的な面もあれば、否定的な面もあるとは思う。要はバランス。天秤座ってなんか、耳障りの良い単語です。


  会話というのはある程度同じような前提知識に基づいてなされるものであると思う。もしくは思考形態といっても良い。


  会社の人が複数セット取ったコピーを机に並べているのを見て、私が思わず「タロットですか?」と言った時に、その人はきょとんとしていた。残念ながらこちらの意図する結果にはいたらなかったようだ。とても哀しい気持ちが、双肩におぶさりかかるこの感覚。人間は集団の中でしか生きていけないと言うが、その集団に入れない場合にはどうすれば良いのだろう?


  こういうことは別に会社に限らず、どこでも起こりうる問題ではある。ワインをみんなで飲んでいるときにワイン好きが蘊蓄をたれていたので、脇にいた私がワインを口に含み「この香り、この舌触り、この味、この涙。うん、間違いない。これは赤だな」とまじめな顔をして言ったのだが、これまたかなり不評であったようだ。


  逆に今まで知らなかったことを知っている人々もいる。それを吸い取っていかないと、バカ化は深刻になり得ます。砂防林ではとどまりません。お気をつけを。





んな感じです。



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