8月分バックナンバー



写真機って言い出したら、中年世代。




8月7日(土)

 今日は久々に図書館に行って勉強なんてモノをしてしまいました。社会人になったくせに、意外とそんなコスい事もしてみたりしています。なんだか学生時代のテスト勉強なんてものに懐古主義を堪能しつつ、怠けがちなカラダに鞭打って無事に終了して来ました。2日かかるかと思っていた資料をいきなり読み終わったので大満足。


 夕方には暇になってしまったので、そのまま車を走らせデカイ本屋に。江戸川乱歩の「人間椅子」を探すもなく、その代わりというわけではないがスティーブンキングの「キャリー」と、ヘッセの「湖畔のアトリエ」、そしてジュールベルヌの「海底二万里」を買いました。久々のスティーブンキングと、ふしぎの海のナディアの原作たる「海底二万里」。後者はまだ若干引きずってるみたいです。


 いま楽しく読んでいる深夜特急は勢いよく進んでいますが、読みかけのままで止まっている「イーストウィックの魔女達」や、既にあることすら忘れかけられている「チャタレイ夫人」はどうなるんでしょうね。いつもいつもの事ながら、本を買ったときに抱く疑問です。他にも先日買った「テロリストのパラソル」なんてのもあったりして。


 その本屋の前にT―ZONEがあったので覗いてみましたが、残念ながら私の心の琴線に触れる逸品には出会えませんでした。40倍速のCD―ROMとかを購入しようかと思ったのですが、50倍速(52?)が出ているのに40はないだろうと思って止めてしまいました。ちなみに我が家のヤツはいまだ4倍速なんですけどね。もっと言うと会社用に勝手に取り付けたヤツなんて2倍速


 そんな事をしていてもまだ時間があったので、今度は近くのこれまた大きな公園へと出陣。読みさしの「深夜特急」5巻を小脇に抱えて、広い芝生のまん真中に陣取っていざ読書。夕暮れ直前だったので風景も良く、また風も適当に吹いていて、さらに言うと少し離れたところでフルートの練習をしている人がいて、雰囲気でまくり。でも蚊に刺されまくり。


 本に飽きたのでフラフラ散歩に出たら、今度は盆踊りが近くで開催されている事を発見。当然に殴りこみ。小さな盆踊りでしたが、なんだか矢倉の上で太鼓を叩いているおじさんや小学生たちは全員ちゃんとさらしを巻いていて、これまた良い感じ。しばらくぼんやりと眺め、あとはなぜか屋台で売っていた中華まんを頬張り、これまた満足げ。


 もうそろそろ帰るかというところで、今度はバッティングセンターを見付けたので入ってみました。何年ぶりだかという感じな上に、もともと野球なんて好きじゃないんですがなんだかセイレーンの歌声に呼ばれるかのように入り込んでしまいました。ただ残念ながらこればっかりは失敗でした。ぜんぜん打てなくて、恥ずかしい思いをして帰ってきました。


 なぜか打席に立った瞬間に後ろにずらっとギャラリーが出来たときには「一発かっ飛ばすか!」などと分かったふうな事をひとりごちていましたが、途中からはホントに一発で良いからとしゃくりあげてました。終わって後ろを見たときに誰一人としていなくなっていたベンチが悲哀です。野球の練習とかしちゃおうかな?


ま、なんにせよ久々にのんびり出来た良い休日でした。



8月8日(日)

 昨日の心地良さをそのまま引き継いで、本日はプールに行って来ました。行ったのは単なる市民プールだったのですが、意外に設備もしっかりしていてビックリ。私が子供のころは、市民プールというとまさにピンからキリまであって、ひどい所に行くのはかなりの苦痛を伴うほどでした。


 「ほー」などと訳の分からん嘆声を漏らしながら、あちこちを見て回るその様は、さながら創立者であるかのよう。とてもじゃありませんが、2時間400円のチケットを買っただけの人間のなすべき行為とは思われません。なんだったら壁をトントンと叩いちゃいかねないくらいの勢いでした。お前んちじゃないんだから、安普請じゃないよって?


 久々の水泳だったのですが、思ったよりもガンガンと泳げました。25メートルプールにて、全部で10往復ぐらい(いずれにしても生産性=0)はしたんじゃないでしょうか。たかだか500メートルほどですが、カラダは信じられないくらいに疲労しきっていました。プールから上がるのが一苦労だったくらいです。ふー。


 車でプールに行っていたので、とりあえず自動販売機で見つけたキリンレモンを開け、クーラーを仄かに効かせ、カーオーディオを楽しむ。なんだかこれまたとてもハッピーな気分に浸りながら、本を楽しんでました。駐車場でこんなにリラックスしているヤツも珍しいですが。って、言うかはよ家帰れよ。


今は今とてビールを飲みながらのお気楽パソコン。うーん、社会人も悪くない。



8月14日(土)

 はー、もう8月かーと書こうと思ったら既にカレンダーは14日だったりした。記憶の断片化。アダムスキー型に乗って火星に帰省も良いけど(良くない)、さすがに渋滞したらヤダなぁとは思う。なんかを埋め込んじゃうのは別に大した事じゃないけど、ただ一点埋め込むんなら軽いの(出来ればチタンメタル)にしてくれよ。5キロとかのモノを腕に埋め込まれたら腕あがんねーよとは思う。


 あんだったらちょうどいま虫歯で歯に穴が空いちゃってるんだけど、なかなか歯医者に行けないのでそこに埋めといてくれるんであれば一石二鳥。一朝一夕との差がよく分からない人は、辞書をどうぞ。「千里の道はマルコの3分の1」とはよく言ったものです。改めてスケールの大きさを感じてしまいます。まあ、飛行機を使えば10時間程度(ちょうどワンクール)ですけど。


 ただ埋まってるだけじゃつまらないから、発光ダイオードとかでピカピカ光ったりしたら、それだけで初めて会った人ともすぐに友達になれるのに。もちろん不相応に200Wとかで光られた日には、寝不足でたまらんということになるのでしょうが。その際に発熱量が凄すぎて動作が不安定になるのを防ぐために付けられたヒートシンクがヘビメタの人たちのトゲトゲです。


 空冷ファンをつければ良いのに、ヒートシンクで十分などとしてしまったので、あんなに暴れているのです。気をつけましょうって、どわぁーワシなんもつけてない!だから暴走。だから爆走。さらに瞑想。そして黙祷



8月15日(日)

 なんか突然発狂してみたくなりません?今日、発狂。いや、発狂というやつは能動的な行為ではなく、受動的なそれかもしれませんので、「発狂に陥る」、もしくは「発狂衝動に身を任せたく」なりませんか?もちろん受動的な行為であると仮定するのであれば、恣意的な発狂などということはありえないのでしょうが。


 外れた結果として見える世界に興味があります。敢えて一般人という呼び方を使うのであれば、一般人には見えないもの、逆に一般人には見えているもの。それらをプラスマイナスしてあげると、視覚的なバーはクリアできるのかもしれません。あとは思考回路の問題でしょうか。


 たとえば異常犯罪者ということで考えてみたときに、どこまで思考の中で異常犯罪を形成する事が出来ますか?実行可能性はさておき、自分の中での最大理論値みたいなヤツはどこにありますか?これがけっこう難しい。どっかの映画なり、ドラマなりで見たものの切り貼りになってしまいがち。センスの問題か?


 たとえば愛して止まない人間を連れ去る。普通であればここで殺しちゃいそうなものだが、敢えて生かす。ただしその連れ去られた人間の腹を裂き、そこに手や顔を入れて体温を常に感じられる状態にして生かす。鎮痛のためのモルヒネ注射、栄養摂取のための点滴など被害者には大量のチューブがとりつけられている。


 脈打つ心臓、蠕動する腸などを直接にその手で触りたい。いやその人の中に入りこみたい。一体化という観点では死体を食するという行為はあったけど、逆に取り込まれたいという発想はなかったのでしょうか。母親の胎内というイメージだとすると、割と簡単に出てきそうですが。皮膚などを自分に移植する場合には、共存なので自立性が見えてちょっと弱い気がします。


 でも相手を生かしておきたいというところに、常識的な判断が見え隠れしているのでまだまだです。やっぱりアタマで考えたものという感が拭えません。真の発狂人生は、なかなかに難しいものです。包丁握って30年くらいでしょうか。発狂の老舗というのも聞いたことありませんが。


ちなみに上で書いたような行為をやりたいわけではなく、どこまで思いつけるのかをやりたかっただけなので誤解なく(無理か?)。



8月21日(土)

テレビのCMを見ていて思ったことがひとつ、


したまま点眼」と「しこたま点眼」はまったく意味が違う。


間違えている人が多いみたいなので、お気をつけあれ。



8月22日(日)

 子供の頃から大学に入るくらいまで、私の長所は視力の良さくらいのものだった。常に右も左も2.0を余裕に凌駕し、1回で良いから本当の視力がどこまであるものなのか計ってみたいという狩猟民族みたいな事を考えながら、幼年期を過ごしていたのだ。その当時は2.0のところに書かれたものが、明確に見えたのでおそらく4.0(追風参考)くらいはあったに違いない。電車で座ってるときに、前に座ってるおじさんの持つ新聞記事が読めたのだから異常事態(=インド人もビックリ状態)である。


 それが大学に入ってクルマの免許をとるにあたって、教習所で視力検査をしたら右目だけが0.7となっていた。何がどうなってこうなったのかは分からない。医者に行ったが「若いうちはそういうもんだ」などと言われて、そのまま分からずじまい(←その発言の趣旨も分からん)。確かに左目を隠した瞬間に世の中が不鮮明になるので、目が悪くなっているのは本当らしい。


 一応メガネは作ったのだが、掛けてみてドッキリ。「うぉっ、飛び出して見える!」。ちょっとしたテーマパークなんざよりも、はるかに出来が良い。ただ実際にクルマの免許を取る際には、眼鏡矯正と記載されると常にメガネを携帯しなくてはならないため、気合を入れてなにも見えないのに「上」と言い張った。どうやら当たっていたらしく、免許にはなにも書かれていない状態である。


 なんでもメガネ屋に言わせるとメガネをかけていないと右目がやる気をなくしてそのうち視力がなくなってしまうとのことだったが(ホントにやる気の問題なんだろうか?)、いかんせん面倒で車の運転をするときとビリヤードをするとき以外には掛けずにいた。その因果応報がまたやってきた。


 本日暇だったので冷やかしでメガネ屋に入って視力検査をしたら、既に右目は0.1になっているらしい。つまり以前と比べて7分の1のやる気になってしまっているということだ。確かに最近右目が顕著に働かなくなってきているのには気づいていたのだが、そこまで行ってしまったのかとショックに打ちひしがれた。ちなみに左目も1.5(15倍のやる気)くらいになっていたようだ。これでは立派な狩人になれん。


 残念ながら私の右目は別に複眼で15個ついているわけでもなく、きっちりと見えていないようだ(15個ついててもきっと見えんと思うが)。なわけで、結局冷やかしにならずにメガネ作成。今度こそ毎日ちゃんと掛けようと誓う私であった。こちらはまさにやる気の問題ですけどね。



8月23日(月)

 どこをどう間違えたんだか天邪鬼にして人生裏街道まっしぐらな私ですが、それはアプリケーションに対しても同じこと。どうも市販のソフトというものに対して違和感を感じ、出来うることならオンラインソフトにてことを済まそうと日夜努力を重ねている。下手したらそのうちに「作る!」とか言い出しかねない勢いだが、いまのところはまだそこまで踏みこんでいない。


 そんな私が最近見つけた面白いシューティングゲームがある。「気合避けバカ一代」というのがそのソフトの名前。いまシューティングゲームといったが、その呼び方には若干の問題がある。というのも、このゲーム宇宙船には乗ってそれを操縦しているし、相手はバンバン弾を撃ってくるのだが、残念ながらこっちの機体は弾が撃てない。ああっ。


 頑張って避けまくるのみ。しかも相手の弾というのがこれまた半端でない量なのである。ちょっと笑っちゃうくらいの量がどんどんと飛んでくる。それを避けているだけなので、おそらく勝利というものはありえない。私は3分間避けまくったが、そこにあったのは最終的な破滅のみ。もののあはれを感じまくり。


 でもこの成績はそれなりのものだったらしく、作者の人にメールを送ったらハイスコアリストに載せてもらえる(気合避けバカ一代ステージ1)ことになりました。でも、すぐにでも名前が削除されそうな勢いです。あげく9位がオオタケで、10位にはシイタケさんが迫っています。ここにも幽玄さが漂っています。興味を持たれた方は、こちらです。でもハイスコアは出さないでね(←肩書き主義)。



8月28日(土)

 木曜日の夜についに新しく作ったメガネくんを手に入れた。僕が生涯で購入したメガネは3つである。ひとつめは茶色い淵のノーマルタイプ(愛称:Andrew)。2つ目はフレームレスの金色弦のタイプ(同:Becky)。そして今回は、ダークブルーの淵が上半分だけあるという上弦の月タイプ(同:Christopher)。


 ガチャ目のため、初めてメガネを作ったときにも十分に頭がクラクラしたものだが、今回のは凄かった。単純に体調が悪いのかもしれないが、メガネを手にして家に帰ったくらいから頭痛に襲われた。しばらくしてそのまま吐いた。右目くんの働く気なしなし星人ぶりはなかなかどうして天晴れである。


 しかし半泣きになって吐きながらメガネをかけている姿って言うのは、なかなか壮絶で面白い。ま、慣れの問題かもしれません。いや、吐くことに慣れるわけじゃなくて。






ミシン油もおんなじ。


トップ アイコン
トップ