5月分バックナンバー



ICQ が I SEEK YOU であるのなら、これほどストーカー的なものはない?


5月1日(土)

 江戸っ子は「ひ」と「し」が逆になってしまうというが、それはどうも本当らしい。実際に私の周りでも逆転現象を起こしてしまっている人間が実在するのだ。まあ、もともと似たような音感であるので、それほど大きな問題とはなっていないが、考えるとまずい事態もあるのではないか。


 熾烈な戦いと卑劣な戦い。発声学的には似ているかもしれないが、意味するところはおそらくまったく違うことだと思う。熾烈な戦いとする時には、おそらく「目つぶし」だの「一服盛ったり」だのという姑息な手段までを意味するものではないと思われる。熾烈な受験戦争は同情を呼ぶが、卑劣な受験戦争は嫌悪感を醸し出す。悲壮膿漏。


 だいたいが菱形だの、松本人志だのという発音が一切出来なくなってしまうのではないか。ましてや胸に「ひしひし」と感じる場合には、どうなってしまうのだろう?まあ、いずれも実生活において窮境を招くような事態ではないのかもしれませんが。間違えてモーゼとかがいらしても面白いのですが。海を割ってもらってアクアマリンの下を大爆走したい。


 私は江戸っ子じゃありませんが、エベレストエレベストかがいまだによく分かりません。したがって最近ではチョモランマと言うことにしております。ベルゼバブとベゼルバブもよく間違えていましたが、残念ながら指摘を受けることはほとんどありません。一度だけ指摘を受けたときには、あせってしまいました。


 その昔にCAPとCUPが、段々と分からなくなってきて困ったこともあります(CPUは別問題)。今でも油断すると前者を思わず「カップ」と発声してしまいそうになります。皆さんもご注意あれ。以前の問題です。



5月2日(日)

 今年のゴールデンウィークは旅行などには行かずに、間違った形での連休の過ごし方を実践してみることとした。当初入っていた予定をすべて投げうっての決断です。もっともそれだって、原子力発電所見学なんてろくでもないものだったので、大したことはありません。


 まず連休初日たる昨日において、今回の連休のサブタイトルは「酒に溺れる」に決定。とりあえず缶ビールをケースごと買い込んでみました。ビールといえば、相手はピザだろうというアメリカンナイズされた浅薄さでオーブントースターも購入。これで私が大学生であれば、変質的殺人者さえ現れれば映画が一本取れるというものです。


 ビールを飲みながらふと映画を見たくなり、考えた。映画館にまで行くようでは間違った休日にはならない。ビデオは良い線だが、まだまだ。ここはひとつ土曜といえばのゴールデン洋画劇場でアグレッシブに攻め込んでみよう!新聞にて演目を確認してみたところ、なんと酔拳2。ジャッキー・チェンが主役であるところといい、続編という続柄といい全てにOK。


 連休二日目たる本日は、料理に明け暮れてみました。と言ってもろくなものは作れません。2時間かけて煮込んでみたカレーと、なぜか焼くのに1時間もかかってしまったお好み焼き。どちらも世間において行われているイベントがゴールデンウィークだとは信じられないようなお題です。でもどちらもなかなかの出来で、本人大満足です。


 サンドイッチを死ぬほど作って、部屋中に置いて一人パーティーも相当程度に寂しくて良いかと思ったのですが、まだ実践してません。やるときには当然部屋中にティッシュで作った花をあちこちに飾り、折り紙で作った星をちりばめ、一人で鼻メガネをかけなければなりません。なんだったらひとりで隠し芸をやるくらいの気負いが必要です。


さてさて、泣かずにどこまでいけるか?



5月3日(月)

 道を踏み外したゴールデンウィーク中盤戦の今日は、友人を巻き込んでの限界シリーズにチャレンジすることとした。今回のテーマは、ラーメンBOMB。およそラーメンを飽くるまで食べ尽くしてみようというコンセプト。ついで1日に何杯のラーメンを食することができるのかという実験的な意味合いも含められます。


 とりあえず美味しいラーメンでないと後が続かんということで、書店に赴き、「美味しいラーメン屋さん200軒」なる書を購入。間違えても美味しいラーメン屋3200軒ではない。オンラインソフトを無理からにCD―ROM4枚に叩きこむようなマネは無用である。どうにもカバーに印刷されたなぎら健壱のバストショットがうさん臭さを醸し出しているのも良い。


 素直な気持ちで食することが出来たのは、2杯目まで。2杯目を完了した時点で、そのまま薬局に飛びこみ胃腸薬(チュアブル)を購入。薬物依存体質はあちこちに見え隠れしてしまう。ちなみにラーメンをとんこつ・非とんこつにカテゴライズしてものを考えると、ボリューム的に大きいのは非とんこつである。同様の試みを行おうと思っている諸氏は、肝に銘じておいてください。


 一時期に比べるとそうでもないのかもしれないが、相変わらず東京ラーメン事情はとんこつ勢力に席巻されているように思う。かくいう私もとんこつコッテリが好きであり、その他のラーメンに手を出すのはチャーシューだの角煮だのに目を奪われての浮わっついた心によるものであることが多い。けっきょく食べたのは5杯(15時スタート、23時ゴール)となったのだが、うち4杯がとんこつであったのはボリュームだけの問題ではあるまい。


 しかし正直、かなりキツイ旅になります。自分を見つめ直したいなどのヘビーな心のわだかまりを感じていない人は、控えるべきでしょう。また見つめ直すにあたっても、紅しょうがの常駐しているラーメン屋を中心に旅を続けると良いかと思います。食欲が瞬間的に戻ります。さらに注意点を述べておくと、ラーメンを食べ過ぎると頭痛を引き起こすようです。血圧の高い人などはお気を付けください。



5月4日(火)

 私は中国4000年の歴史たるラーメンをナメていたらしい。所詮ラーメン5杯を食したところで、せいぜい半日も満腹感に耐えればそれで終わりと思っていた。しかしそれは間違いだった。ドラマに出てくる軽薄な男(周囲の助言を無視して、呪われた仏像に眉毛を書いちゃったりするヤツ)のように、ちゃんと因果応報は待っているものなのだ。


 で、80年代のアイドルを待つファンのように執拗に私を待ちうけていた報いとは頭痛。アタマいてー。ラーメンとの連鎖の鎖の有無がイマイチ見えないのだが、朝起きたら既に頭痛。名づけてラーメン痛。ひどく痛い。


という訳で、今日はここまで。


皆さんもお気をつけあれ。



5月5日(水)

 連休最終日たる今日は、ラーメン痛も消え去りのんびりと読書にいそしみました。今回の「間違った連休の過ごし方」というコンセプトに忠実になり、マンガ喫茶とかに繰り出してみようかとも思いましたが、それはやり過ぎだろうということで溜まりに溜まった本に取りかかりました。


 とりあえずはなぜ今読んでるんだ?という「泉麻人のコラム缶」。どう考えても80年代に読むべきものであるのを、20世紀も押し迫っている現在に至って読んでいる。「ナウの崩壊」なんてとてもじゃないが、電車の中では読めない表題のついたコラムがずーっと続いている。もちろんこの本の中では、タモリが「友達の輪っ」なんてアバンギャルドに飛び跳ねている。


 ついで以前から読んでおきたかったスザンナ・タマーロの「心のおもむくままに」。これまた学生の頃から読んでおきたいと思っていた本なので、今まさに読むべき本ではないのかもしれない。で、最後に2時間ばかりで読めるぞの斎藤栄の「横浜ランドマークタワーの殺人」。ちょっと読みすぎました。目がチカチカしています。


 昨日、またしても本屋に出没してみたのですが、ちょっと見ぬ間に読んでおきたい本がまたしてもたくさん出版されているようです。うれしい悲鳴というべきでしょう。さてさて読まれるべくして本棚に眠っている8冊を、どうやって読了したりましょうか?考えるとキリがないです。


あー、幸せ。



5月8日(土)

 土曜になると興奮して通常よりも早い時間に目が覚めてしまうのは、いったいどういう構造なのだろう?目が覚めることを覚醒と表現するのは、いったいどういう印象を与えるのだろう?覚醒剤という名称は、いったい誰がつけたものなのだろう?麻薬という名称は大麻のみに限定して、総称的名称は魔薬ほどにしておくというのはどうだろう?


 起きてみれば7時前だったのですが、2度寝(ダブルスリープ)の出来ない体質の私はコーヒー片手にテレビをつけてみました。するとビックリ。土曜日の朝7時からなんと、「まんが日本昔ばなし」をやっておりました。市原悦子の調べにのって、物語が展開する点といい、エンディングテーマが「にんげんっていいな」で唄い手がヒト科の生物でないことを予感させる点といい、全てが郷愁。


 内容は異形の悪鬼との絡みや、正直者が成りあがって行く姿などで、ありがたく拝ませていただきました。物語が始まって60秒で、展開から結末までが分かるシステムになっていますので、朝に余裕のないサラリーマンにもお勧めです。ウィダーインゼリーと一緒に摂取すると、成人男性が1日に必要とするエーテルを充足させることが出来ます。


 満たされた気持ちで新聞を眺めていて気づいたのですが、この「まんが日本昔ばなし」というのは、なんといまだに再放送ではないようです。昔ばなしが昔を語っている話ではなくて、昔から伝わる民間伝承を指すものだという私の持論が世に受け入れられるものだとするのなら、もうすぐ枯れてはしまわないのでしょうか?それとも林業のように、昔ばなしを入手した瞬間に新しい話を広める(植話)ことで、共存を図っているのでしょうか?


 それに関して、人件費の関係で最近では、東南アジア周辺で昔ばなしを広めているという話もチラホラ聞きます。また熟成段階において上質の昔ばなしはなにも足さずなにも引かないのですが、商業主義によって話の途中で権兵衛がコカコーラをグビグビ飲んでしまったりという粗悪品も市場に出まわっているようです。


お気を付けください。



5月9日(日)

 センスの感じられる単語、感じられない単語というものがある。それとは別に手垢にまみれた単語、まみれてない単語というものもある。さらに言うと、時節に呑まれている単語、呑まれていない単語という区分も存在する。こういう違いを分からずに話を進める人といると、ふと顔を赤らめてしまうことになる。


 勘違いしないでいただきたいのは、いずれも単語であるということ。言い回しとか言葉遣い(広く考えれば、単語の選択もここに入ってしまうのだが)ではない。空の青さを表現するのに「抜けるような青さだ」などと言い出すのは、既に前段階の問題かと思われる。もちろん時と場合と人を厳選した上で、敢えて抜けちゃうケースもあるだろうが、それはまた別。


 たとえば私がセンスを感じる単語でいうと、ぶどう酒ですね。これを葡萄とするべきかという難問もあるのだが、ここでは論じない。ブドウでも良いじゃないかと感じた方は、僕とは少し違うと思う。結局はワインのことじゃねーかと思っておられる方は、このページは読み飛ばしてもらった方が良いでしょう。


 手垢にまみれたところでは、自転車を意味する「チャリ」なんていうのがあります。これはやはり自転車と正式名称が現在では正しい呼称です。「手動二輪」なんてのも努力は認めますが、誉められたものではありません。徹夜明けなどでは行けるかもしれませんが、妙に記憶力の良い人間がその場にいたりすると、後日白日のもとに曝される恐れがあります。なるべく控えましょう。


 時節に呑まれていない単語で、最近私の注目しているところは「レンズ豆」と「帝王学」あたりでしょうか。もちろん時節に呑まれていない単語というのは、現行あまり話題に上っていないからという側面も強くあり、注目しているのは良いのですが、使うシーンはかなり限られます。僕は残念ながら、まだ他人とレンズ豆の話をしたことがありません。なかなかに難しいものです。



5月14日(金)

 私が日々通っている会社にも、研修という特殊な儀式が存在します。おかげさまで茨城県のほうに五日間も幽閉されるという行幸に遭遇することが出来ました。感謝のしようも、文句の言いようもないとはまさにこういう事態を指すのでしょう。人生一寸先は五分の魂、八分の腹、三分構成トリオロジーでしょうか。735?んじゃそりゃ?


 研修の良いところは、自由時間の多さ。なんだか4時45分にはカリキュラムも終了し、後はフリー。前回の研修のときには、なんと5日間の間に5冊もの本を読了するというエラいカルマ(=偉業)を成し遂げた私ですが、今回は2冊ほどにとどまりました。もっともうち一冊は、週刊アートギャラリーなる雑誌だったりするので、実質1冊か?もっとも6時半までは昼寝の時間としていましたが。


 読んだのは、「イギリスはおいしい」という本。イギリスのカルチャーに関するエッセーですが、食文化を切り口にしているのが面白いところです。イギリスの食事は本当に美味しくないとは、あちこちで聞かれる話ですけど、この本を読むと本当にそうかもしれない、でも努力の結果として美味しいものも食することが出来るかもしれないという気になります。


 で、現在取り組み中は平野啓一郎の「日蝕」。色々なことを思いながら読んでいる最中ですけどね。なんで茨城に本を4冊も持ちこんだのに、新規に購入しているのか、そしてまたその新規購入の一冊から読み始めているのかは、誰にも分かりません。本の神様だけが知る真理でしょう。人間生きている間にこれを手にすることが出来れば、永遠の富莫大なる一生のいずれかがダブルチャンス。


担がれんなよー。



5月16日(日)

 どうにもこうにもデジタルな人間であるのか、なにごとにおいても極端という境地が好きです。ギリギリという緊張感、持てる能力は全て発揮してしかるべきという間違った世界観。程度の差はあれども、どうも電子ゲーム世代には共通してこの傾向が見られるような気がします。


 そのせいかどうかは知りませんが、私は夏のさなかにおけるキンキンのクーラーが大好きです。さらに言うのであれば、そのクーラーの部屋の中でコタツに入りながら齧る「がりがり君」は止められない。関係ないことを言うのであれば、わたしはチョコボンバーが人類が獲得できた史上最高のアイスだと信じて止まない。


 しかし今回、わたしが挑んだのはカラオケ。先日カラオケに行く機会に遭遇したのですが、ここでわたしは閃いた。もはや人の知恵を超えてしまった神の知恵がわたしに降り立った。カラオケにおいても、上記同様のギャップを楽しむことができるのではないかということに。


 世の中には夏の歌手と呼ばれる人がいる。その名もチューブ(和名未確認)。その一方で冬の歌手と呼ばれる人がいる。その名も広瀬香美(学術名未確認)。これだ〜!しかもちょうど良いことに広瀬香美のモノマネが得意なのがいる。試してみないでかー。やらいでかー。


 で、挑戦してみました広瀬香美(もどき)の唄う「サマードリーム」(楽曲名に自信なし)。結果は成功といえば成功、失敗といえば失敗でした。平均的な日本人はチューブの演奏を耳にしてから15分以内に、自律神経が失調し、体温上昇・発汗作用の最大化が生じる造りになっています。ところが、このニセ広瀬の唄うチューブには、盛夏を感じさせるのではなく、冷夏を感じさせるところにとどまります。


稲の頭が垂れなくても良いという、農業従事者以外はぜひとも試してみてください。



5月22日〈土〉

 本日、寄生獣なるマンガを始めて読みました。かなり有名なマンガですので、今までも友人が読んでいたりするのを見て存在は知っていたのですが、どうもあの本気なのか、ひとつのひねりとして出しているのか分からない画風が前に立ちはだかって読まぬままになっていたものです。私は、こういう意図の読めないものが、非常に苦手だったりします。


 けっきょく3時間ばかりかけて、全巻〈1〜10巻〉を読了しました。内容的には裏に環境問題や生態系などを偲ばせた、アクションホラーとかっていう感じになるのでしょうか。これがまた読めば読むほどに難しいんですな。内容がって言うのではなくて、作者の求めているものが。このマンガが描かれたのが、どの時期なのかをチェックするのを忘れしまいましたが、環境問題の叫ばれ始めた時期との関連が気になるところです。


 感想としては、エンターテイメントとしての出来はかなり良い、思想としての側面は70点くらいといった印象を受けました。けっきょくどうあがこうが、環境問題という思想はある程度、煮詰まってしまったのかなと感じながら読み進んでしまいました。もしくはナウシカやもののけ姫で展開された、媚びない思想に既に感心してしまったのが悪かったのかもしれません。


皆さんもぜひ読んでみてください。


でもどんなマンガでも一気に読みすぎると、目がチカチカします。良い子は部屋を明るくして見てね。



5月23日〈日〉

 先日私の部屋のエアコンが壊れてしまったのですが、修理をしたもののけっきょく1ヶ月でまたしてもブレイクダウン。もはや姑息療法では、このエアコンは生き延びることが出来ないことが、いま白日のもとに曝されたわけです。余命6ヶ月のリビングニーズ特約が聞いて笑います。飛び出せ、ホスピス!


 今まで私の部屋の温度を思うがままに操っていた機械は、室外機がなくてそのまま窓とかに取り付けてしまうタイプのやつでした。もっともこの部屋を作ったときからあったらしく、壁に大きな専用の穴をあけてありましたが。なんでこういう造り付けのものを、電化製品相手に作ってしまうのか、先人たちの考えることは私には理解が出来ないところがあります。


 当然今回新規につけるエアコンは、室外機アリにて壁にあける穴も直径五センチほどのパイプが通れば良いものだったりします。通常モードであればいままでのエアコンを外して、新規のものと世代交代を図るのでしょうが、今回はそれが出来ません。そんなことをしてしまっては部屋に大きな風穴が開いてしまいます。


 結局ひねりの感じられない解決策として、現在ワンルームの狭い部屋に、エアコンが2台据えついている状況にあります。


 むかし友人が8畳のワンルームに住んでいるくせに、子機が二つも付いたコードレスホンを購入していたのを見て、大笑いしてやりましたが、ぜんぜん変わりありません。あー、なにやってんだろ?



5月30日(日)

 この間、人と話をしている中で、笑いのポイントの相違について考察する好機に遭遇した。それは同一人物とバカ話をしている中での、次の二つの私の経験談に対するその人物の反応。皆さんは、いかにお考え?


1.インターネット
 その昔学生時代に、私はパソコン販売の派遣社員としてのアルバイトをしていたのだが、既にWin95がリリースされていたこともあり、さまざまな層の顧客が入り乱れていた。そこはパソコン専門店とは言え秋葉原や日本橋の店ではなかったので、そんなにマニアックなのは来ない。ただし初心者は多いという状況。


 確かにいろんな人が来たので、面白いことがたくさん起きたのだが、その中でのエピソード1。おじさんが真剣な顔で、私のところにやって来て「あのー、インターネットを買いたいんだけど」と言った。私は疲れていて説明したくなかったので、何気なくそのおじさんにネットスケープナビゲーターを手渡したという話。


2.ト音記号
 小学生の時分に、音楽のテストがあった。その時に出た問題が、白紙の五線にト音記号を記入しなさいというもの。私はこの問題に対して、才能をいかんなく発揮し、何不自由なく回答を導き出したのだが、その時に隣りに座っていたクラスメイトから「ちょっと答えを見せてくれ」というあざとい要請を受けた。


 ただなにも考えずに見せるのも芸がないと思い、いっかい書き込んだト音記号を消し改めて「」マークを書いてその友人に見せた。おもいきって、その友人は写しまくっていたという話。


 どっちが一般的に考えて、面白いのでしょう?私の中では確実にト音記号のほうが面白いのですが、その人物はインターネットの話には大爆笑したものの、ト音記号の話にはいまいちでした。さらに問題点を言うと、自分で話しておきながら無責任なのですが、インターネットの話の面白い点がいま一つ分からないんですよね。


どちらに惹かれますか?




ま、そんなトコで。

トップ アイコン
トップ